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項目 内容
ID J1800390
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔榛原郡吉田町史稿〕○静岡県
本文
[未校訂]S31・11・3 桐田栄著
十一月四日五時(午前八時)突如、大地震がおこつた。
突然のことだつたので寝まきのまま戸外にとび出す者、逃げ
おくれて家の下敷きになる者、瓦や柱に打砕かれる者、大地
はさけて泥水をはき、高潮は浜を洗い、飛ぶ鳥さえ落ちる有
様で、震動時間約五十分、正に天柱が傾いたかと思われた。
余震は止まず、地鳴りはつづいた。
瓦ぶきの家は全滅し、残つた板ぶき、杉皮ぶき、かやぶきの
家も大方傾むき、与五郎新田で助かつた家は数える程しかな
かつたという。
郷人は一瞬にして住家を失い、月の光に親は子を倒れた家の
下に探し、子は親の死体にすがつて泣き叫ぶ様は、さながら
生地獄の如く、その物凄さは言語に絶し、翌日も余震が止ま
なかつた。倒れた家、傾いた我が家の前に親の遺体や我が子
のかわりはてた姿を眼の辺りした郷人の気持はどんなであつ
たであろう。
明けて安政二年夏、又もや大井川の出水に見舞われ、立つた
ばかりのうだつ屋に又しても無慈悲なむちは加えられた。然
し為政者の助けもなく、同じ運命にある隣村の救けを求め望
むべくもなかつた。 咄!
「自力だ、隣保協力だ 我等の祖先は裸一貫でこの地に移り
来つて天災の中に、この地を開いたではないか!。」
彼等の皮下には俄然命がけの開拓者精神がよみがえつてき
た。「自力と協力」ただこれのみが我が村を再建する力だと
覚つた郷人達は、雄々しくも郷土の再建に立ち上つたのであ
る。
註1 川尻の竜音山正雲寺はこの地震で諸堂が大破し、安
政五年九月庫裡を再建した。
註2 うだつ屋 一説に安政地震の翌年即安政二年は卯年
でこの年に建つた家をさすという。他説に曰う、安
政三年は辰年であるので震災後の卯年と辰年に建て
られた家の意。二説共に里人の説である。
註3 安政の地震で神戸付近で倒れなかつた家は四・五軒
位のものだつたと里人がいう。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 1035
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 吉田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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