[未校訂](老母を囲んで)
安政の大地震
「安政の大地震の時は確か[妾|わたし]が四つか五つの時でしたが能く
覚えていますよ。夜でネ、其の時の女中はおもとと云つて
ネ、母が早く寝かして仕舞ひ、母が妹のお恒をお[負|ぶ]つて夜な
べ仕事をして居ましたら、グラ〳〵ツて大変な地震で、台所
の床板が二三枚[跳|は]ね上がつて仕舞ひましてネ。父は其の時、
俳句の会か何かで留守で、飛んで帰つて来て、夫れに父が平
素気前がよく六尺などへ能く心付けしてやつていましたから
二人の六尺が直ぐ駆け付けて来ましてネ。其の時、佐々木の
おかねさんと勇さんと云ふ人は[梁|はり]が落ちて胸へ当つて死にま
してね。其の当時火葬は一向宗のみで其他は皆んな土葬で
ネ。それで父と田辺の伯父とで江戸中の葬式屋を飛び廻つて
漸くに佐々木の死人を[生|い]け込む壼を二ツ手に入れることが出
来たのでして、其他の[方々|ほうぼう]の家では死人を入れる壼が売切れ
で容易に手に入らず皆んな大困りをしたものですよ」(注、
安政二年の地震カ)