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項目 内容
ID J1800269
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔西松家文書〕○岐阜県安八郡輪之内町西条
本文
[未校訂]大垣市立図書館
「(表紙) 嘉水七寅八月十二日
日記
参番 柴(西松権兵衛)桑園主 」
十月四日 天晴 今暁八ツ頃地震有之由
十一月四日朝大雪五六寸余積、風気無之雪ハ折々降又照ル
四ツ頃大地震俄ニ長々と震大変也 始り候ニて雷鳴いたし

同時早鐘も撞直ニ止、所ヲ不知
忠蔵居家寺の蔵作右衛門小家其外雪隠等夫々潰家出来
誠ニ大地震なり、震り止メ早鐘暫く鳴、不知
〃 五日 朝ハ晴又雪も少し降又照、八ツ頃ハ雪雨交り降
どんとして静、七ツ半頃又大地震有之、昨日ゟは少し安く
とも被思申候得共余程長く震り申候、昨日の通り治り候処
雷鳴の様成音いたし候
早鐘所々ニて少しつゝ鳴る、不知
右の後夜四ツ頃月の入過(剋カ)迄ニ小震十遍有之中ニは余程強く
震るも有之、夜四ツ半頃風少し吹又止静也
〃 六日 天晴至て静ニて照る
昼の内小震一度とも又暮合震少し長く大キり、夜も少し震る二三度也、
夜中風なし少し曇り
半左衛門方ゟ大垣見廻ニ行事延引の書状来ル
村中皆々莚張の小屋を作り此夜外ニ休ミ申候、自分も門の
中ニ作り家内不残是に睡る
今日忠蔵頼井戸雪穏ツイ張カイ其外右門の小家作り申候
南波専徳寺庫り潰候よし
今尾も百軒余も潰候よし
竹ケ鼻も少水蔵潰候よし
津嶋大荒のよし
多芸石津筋所々寺潰候よし
大牧の寺も潰候よし
大垣も二三十軒も潰候よし
〃 七日 曇天風なし、四ツ頃雪雨交りちら〳〵と降、日も
照る中ニ降る 四ツ頃小震夕方震夜も震(中略)地震見廻
ニ行
〃 八日 天晴又曇り、風少し出も止む、夜ハ少し風吹 四
ツ頃ニ少し震といふ夜も震といふ 此日村方小前ゟ氏神様
へ祈禱いたし呉候様申出候、依之年寄中相談仕候て御湯立
可致筈ニ相成、則人足を以大垣蓮花院へ申遣候処留守ニて、
老僧ゟ被申候日々先々ゟ廻り十二日参り可申候様申越、神
酒壱升の相談也
団平□□頼門の内ニ小屋建ル
〃 九日 天晴風立寒し 地震気味も薄く相成候様被存候
処、昼ノ内小震三四度も震といふ、夜四ツ頃大分震る、又
日の入頃も震といふ、同(夜)七ツ頃風吹寒し
朝半左衛門民弥相見へ大垣へ見廻ニ自分も同道ニて行候
処、奥ニ方家内土手ニ小屋かけ致今日又大地震也いふて恐
入て居る、依之直ニ引取申し候見廻不申候て帰る
〃 十日 天晴風吹寒し、朝五ツ半頃は雨も少し降照もする
四ツ頃ゟは照(中略)
今日は震り不申候様被存候、此夜も震り不申
〃 十一日 天晴、折々曇り、風吹強雪もちら〳〵降、至て
風強 四ツ頃地震、又九ツ頃も震其外にも四度震るとい
ふ、風強く吹中ゟ震る、夜雪少し降、此夜ハ震り不申候
〃 十二日 天晴明前ニ雪ふり依之朝少し雪あり、今日地震
は震り不申候夜は少し震といふ震らんとも 蓮花院相見へ
御湯立いたし候
〃 十四日 天晴至て寒し、寒風吹 四ツ地震二三度震
今晩ハ家内皆々内ニ寝る
〃 十六日 半右衛門同道ニて大垣へ地震見廻りニ行へ止宿
(中略)―又調達金の儀ハ地震ニて先引合ハ震失セ申候、
当月切ニ御下ケ金相願可申候様ニ申候
〃 廿九日 天晴、此夜雪ふり 此頃地震少々有之候由
十二月三日 天晴 九ツ頃地震鳴り多し
居家潰楡俣(カ)とみ西条忠蔵伊兵衛潰家のものへ金壱分つゝ被
下候ニ付藤三郎・半左衛門出勤・仁助・伊兵衛召連申候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 603
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 輪之内【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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