Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1800248
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔酒井家(小浜)編年史料稿本〕○敦賀東京大学史料編さん所
本文
[未校訂]十一月四日敦賀地方地大ニ震フ被害アリ
(諸事書留帳) 敦賀郡疋田 中川弁治郎蔵
同寅年十一月四日
○嘉永
七年
朝五ツ時より不軽地震ニ而少も不
止、直様家内中門へ走り出候、雪中ニ而甚困入候、雪の中ニ
筵菰を引敷、夕方迄門ニ居候得共、未少ツゝ震候間、恐敷家へ
這入候事難相成、掘立の小家を建、其中ニ家内中這入、五・
六日も居申候、当地にも小家十四・五斗相建候、町方ハ家並
ニ門へ小家を立皆々出居候、誠ニ雪中之事成市中のこんさつ
大方不成、当地ゟ町方ハ又々地震大ク、別而塔場筋より西御
役所迄は余程大ク、御陣屋御役所迄之損し所不軽大そんじ也、
川東抔は一向小ク候由、また当国ハ格別之事なき内か、町中
ニ壁ニヒゝりたりのいたミ不申家とてハ無之候由、当家等ハ
大ニのがれ一所もそんじ所無之候、大坂は地しんツ敦賀ルが同様
くらゐ之様子ニ候得共、其翌日大つなミ打、家蔵のそんじ数
を知らす、人死三千人斗有之由、其外西国・九州・四国共大
地震津なミ津々浦々残る所無之由不軽大騒動なり、其外東海
道ハ地震津なミニ而たをれ候上へ火事五拾三次之内廿余ケ宿
やけ、つなみいたし、古今無類大変也、昨年六月ニも地震諸
国いたし候得共、此辺は当十一月方(カ)強ク有之候、中々恐敷事
共也
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 585
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 敦賀【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.003秒