[未校訂]飛驒越中地震山抜泥水[化者口説|バケモノクドキ](安政五戊午年七月下旬 常
願寺川筋 悲しみぶし)といふ音頭歌がうたはれた。(左に
之を記して置く)
[濁世末代|ヂヨクセマツダイ]、世が劣ろ(ママ)えて人の心も世の中なども唯だの一つも
当てにはならぬ。異国出入りの地震の騒ぎ。越後信州、江戸
大阪や、四国、奥州国々地震、有るが中にも飛驒越中は安政
五年の戊午よ 頃は二月の下旬の五日夜の九つ、夜半の頃に
ドンと揺らぐる地震の騒ぎ。神通川入り飛州の山中、山が崩
れて家土蔵倉も、人も牛馬も神通川ヘドウと突込み、其の哀
れさは逃げて出よにも、真ッ暗らやみよ、家はそのまゝ川中
嶋へ、きずも痛みも無い其の人が、これは何事、どうなるこ
とゝ、家内一同に泣き悲しめど、出るに出られず、川中なれば
水はのまえて追々ふえる、是は死ぬるか、助けてくれと水の
中にて果てるも御座る、岩にはさまれ河渕なれば水はのまえ
て死ぬるも御座る、これは山抜け、西川べりに三十四ケ村屋
敷は知れぬ、ほかに痛みは幾千万ぞ、これは飛州の地震のい
たみ、これにつづいて越中の地震、田地いたみや家土蔵等も
人のいたみも数多けれど地震そののち、出水のいたみ、さて
も大きな常願寺川、河の源たずねてみれば音に名高き立て山
の奥、谷は四十八、高山なるぞ、その山々は色々なるぞ、地
獄谷やら畜生が原や、さいの川原や、色々なるぞ。南谷には
大きな池よ、山を開いた有若様はあまた大蛇が住みなす故に
権現様に頼ませられて大蛇狩り込み池ぢやと御座る、池を離
れて二里程西に音に名高き温泉御座る、湯やの南の山うち越
えて十里四面も村無きところたつた一と村有峯村よ山の谷々
其の数多し、地震ゆるぎて山抜け致し人のいたみも数[多|オ]う御
座る。山が抜け込み河水止まり地震二月の下旬の五日、其の
後三月上旬十日朝の四つと覚えし時に、地震ゆるぎてのまえ
の水は、ドウと押し出し其の音響き、鍋も茶釜も戸障子まで
もどんど〳〵と皆鳴り渡る、さても出水の様子を見れば、五
丈七丈大きな岩が木の葉流るる如くに流れ、又は大きな材木
等は、えのき、くさまき、杉等は海も川原も酢し押す如く、
それに一つの不思議が御座る、川裳一度に炎や煙、これは不
思議とつくづく見れば岩の中より吹き出し煙る、岩を吹き割
り微塵に[砕|クダ]き、あまた不思議にあきれるばかり、谷の瀬につ
き、あまたの化者、川の下へと逃げ出しまして川を荒らかし
人取り喰ろい、七つ下がれば川渕よけの水の中より火炎を出
し、これで行かんと役所へ届け、流れ勧請に御経読み流し、
御経の功力と暫らく失せる、山の抜けし所と海はたまでは岩
と泥と材木ばかり、泥の深きは四五丈ばかり、さても哀れや用
水下たよ、水は一[滴|ツユ]あがらぬ故に、水を汲むには一里と二里
よ、池も清水出も皆谷上ぼる。どうしよう斯うしよと心配な
かえ山の方より御触れが出され、真川一筋切れ出でたれど、
湯川あたりは未だ切れ出さぬ、これが切れたら大変なるぞ、
命が惜しくば早や逃げ去れと、これを聞くより川下も村は家
も着類も皆うち捨てて、山は抜けゆく野宿を致し、中で、む
ごいは盲人、いざり、狂ひ死ににて果てるも御座る、野宿姿
の様子を見れば芝の庵に鍋釜釣りて、四五十日をば餓鬼道の
如し、就いて其の頃役人方も、山の狩人召し連れられて鍬崎
山と云ふ高山に、水の留りを遠眼鏡にて水の様子をつくづく
見れば、水の当りは五六里ばかり、谷の深さは二里半ばか
り、これは抜け出はせまいと云うて、就いて其の頃用水普
請、水も少々取り込みまして、これで喰い水使い水も、一安
堵と云ふ其のうちへ、ドウと押し出るのまへの水よ、四月二
十六昼八つ頃に、上滝細口突き出る時は、水の高さは二十丈
ばかり、川にあまりて突き出る泥は縦が六里に横幅四里、[平|タヒラ]
一面皆泥海よ、木萱草木田地も家も、人も牛馬も犬狗まで
も、哀れなるかや流るる人は皐月、早乙女、苗持ちながら、
馬は馬鍬を引懸けたなりで、中で惨いは赤子らなどは、つぶ
ら中にてニコ〳〵笑ひ、親は膚着に腰巻しめて思ひがけ無き
水瀬が向ひ、家の中にて子を抱きしめて、顔を見合はせ涙と
共に家はくだけて死ぬるも御座る、親子五人は泥中嶋に、首
をさし出し助けてくれと呼べど招けど泥中なれば、舟は及ば
ぬ見て居るばかり、さても哀れや両手を合はせ、西に向いて
念仏致し泥にまみれて果てるも御座る。親子三人手を引き合
はせ、泥に追はれて逃げ行くうちに、足は弱なる眼はくら
む、親は子を捨て子は親を捨て、西よ東よ南よ北よ、思ひ思
ひに逃げゆくうちに、水の瀬先きは矢を射る如く死ぬる姿は
幾千万ぞ、川の普請の人足などは川の鳴る瀬と仕事にあせ
り、出水斯うとは夢更ら知らぬ、岩や材木泥巻き立てゝ、ド
ウと打ち懸け一度に流れ、常の水なら泳ぎもしようが、所論
叶はぬ覚悟をきめて、思ふ中から助けてくれと川原一同に呼
ぶ其の声は、阿鼻焦熱の責め苦にまさる、川の普請は拾ケ所
ばかり、人のいたみは数多う御座る、こんな哀れは世にある
ものか、地震津浪や大水などは、常々此の世の哀れさなれど
泥の流れは今更聞かぬ、泥や[沙石|ザクイシ]一丈ばかり、簞笥長持葛[籠|ツヅラ]
や夜着は、秋の木の葉の散りたる如し、四百余りの新庄宿
よ、宿の哀れは数多けれどあるが中にも哀れと云ふは、新庄
新町寺子屋旦那、年は四十二で子供は二人、二人子供の其の
年云へば十才と二つに成る子を持ちて、蝶よ花よと育てて居
るが、今後四月の下旬の水がゴウ〳〵鳴り来る其の音聞い
て、二つなる子を十なる姉に無理に負はせて古町へ逃がす、
旦那夫婦は内輪の始末、始末なかばに其の泥水が、ドウと押
し来る其の泥中で、夫婦二人は手に手を引いて、泥に押され
て[下|シ]もえと流れ、もはや首だけ泥にと沈む、所詮叶はぬ念仏
致し、神も仏も世に無き事と、思ふ所え川上よりも、白木川
木が早や流れくる、それを見るより川木に縋がり、夫婦二人
が喜び居るが、遙か向うに立ち木が御座る、その立ち木奴が
又荷となりて、意地の悪さやすがりし川木、又荷と懸かり、
はづれはせない、是れは〳〵と苦しむ所え五尺あまりの大岩
懸かり、旦那外づれてかみさん様は(ママ)岩と立ち木に締め合はさ
れて、苦労する身の其の哀れさは、云ふに云はれぬ哀れな
姿、斯くてかみさん旦那に向ひ、「わたしや叶はぬ、先き行
かしやんせ」、引いた其の手を切る身のつらさ、まこと他人
で見て居る者が熱き涙がホロ〳〵落ちる、力なくして旦那は
流れ、下もえあがりて我身を見れば、髪はさわけてからだは
痛み、女房殺して子供を尋ね、もはや其日も早や暮れ近く成
れば成るほど旦那の心、心夢中で当惑致し、居所の知れない
子供を呼ぼふ、暗きやみ夜で行くえが知れぬ、もはや其の夜
も早明けたれば新庄古町古る城辺に、親たち尋ね子供ら二
人、泣いてこがれて眼をはらかして、それと見るより三人共
にワツと泣き出し其れからも、「コレサ父様、喃ウ、母さん
はドコにどうして御座るやら、早く此の子に乳下さんせ、夜
も夜中も母さん乳と、泣くに困りしわたしが子守り、聞いて
旦那は涙にむせび膝に抱きあげ「よう聞け子供、乳をふくめ
るお前の母は、岩と立ち木に両板ばさみ、押せど引けども離
れもせない、引いた手に手も外ずしてしまひ、母の乳房はも
う叶はんが、さても可愛やひもじいぢやろが、食事買ふにも
銭金つかえ二人子供と旦那の姿、さても哀れや情なや、命助
くる其の人にさえ御上様より御救い下る、下る御救い粥にて
下る、御粥入れよにも入れ物持たず、手樽持ちたる入れ物な
どに、もろて帰れど碗皿も無し、手樽ながらに口付けまして
家内惣々が分け食い致し、あまり哀れではなしもならぬ、田
地持ちたる御長者様も、昨日は御旦那今日は乞食よ、家も宝
も流してしまい残る禄には田圃の繻伴、たつた一枚着替えも
持たず、一家親類流し所なれば、顔を見合はせ涙を流しツラ
やコワやと悲しむばかり、家がなければ住み家も成らず、禄
が無ければ商売成らず、山の御寺や城下の寺の御堂や御庭に
押し込め奉り、凌ぐ姿の哀れさ中に、水ののまへはまだ大変
と、町も城下も在々などもいかに成るやと他国へ逃げる、又
は射水や砺波の方へあなたこなたの御慈悲の上は、水の凌ぎ
を致させ貰ひ、こんな哀れは何から起る、人に連れ添う世の
中なれば、吾ら心身も泥水故に口の地震は身震い出し、瞋恚
のほむらで一度に崩れ、貪欲泥で谷口止まり、慈悲の情は一
ト水出だす、口の大水は八万四千、大根具足し谷々までも、の
まえ切り立て一度に出でる、腹の山ン中は人知れねども、上
滝細口突き出る時は、口の大水、貪欲泥よ、瞋恚の岩は炎を
吹いて、吾も〳〵と出る其の時は、神や仏も飛び去りなさ
る、口や貪欲瞋恚の起り、未来、後生の田地を荒らし、慈悲
や情けの家土蔵流し、頓生菩提の宝もすたる、昨日は善人御
長者さんも、今日は三大道に迷ふ、それに一つの噺しが御座
る。坊主役人商売先きも、みんな乱れて妖怪ばかり、御笠下
にて恐れもないが、悪るさ働らく此の節故に地震来りて心中
を知らず、もはや一夜の日暮れの吾ら、心払らいて得意を求
め、ドンド〳〵と鳴る其の音は、十里四面は山鳴り渡る、山
の鳴るたび大地は動く、さても哀れな噺しで御座る、泥で命
を捨てたる人は、毎夜毎夜さ助けてくれと、一度はずれる此
の娑婆なれば、聞けば恐ろし身の毛はよ立つ、後生の大事を
取り迷いなく、地震無き国待ち受けしやんせ。ヤンレイ〳〵