[未校訂]安政の大地震当関町は古来より、地震による被害は殆どな
かったと言ひ伝えられており、安政の大地震
についても次の記録が残されている程度である。
安政元年(一八五四)六月一四日、大和古市、伊賀上野、四
日市を中心に大地震があり、その区域は畿内及び北陸の一部
に及び、中心の上野市附近では倒壊家屋が一割以上に及び、
近くでは亀山城の太鼓櫓、石坂門櫓の倒壊、西富田、中富
田、庄野等でも寺院が倒れ死者も出た。しかし当町では殆ど
被害がなく、土蔵の壁に亀裂を生じた程度であった。地震発
生後余震が十日間に及び、そのため避難小屋を建て、老人と
子どもをこれに移し、不寝番を増加して火災発生にそなえ
た。また、六月一五日、 一六日は笛吹明神、熊野権現社の祭
礼であったが、この地震のため関宿名物の曳山は中止した。
坂下宿も同程度の被害であったらしく、「六月十九日飛脚所
本屋勘兵衛より届出諸地方地震聞取書、当月一四日夜は関当
所も同、関関、坂下宿痛み許りあり……。」との記録より推
察できる。