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項目 内容
ID J1600146
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔四日市市史〕▽S5
本文
[未校訂]建福寺
北町に在り、 (中略)堂宇の如きも嘉永七年六月の地震にて
大本堂庫裡等悉く倒潰し(後略)
光源寺
上新町に在り、本堂は嘉永七年六月の地震に倒潰し明治九年
再建したものである。
信光寺
八幡町に在り、旧本堂は嘉永七年六月の地震に倒潰したるを
以て明治初年より新築に着手し同八年漸く落成したのが即ち
現在の本堂である。
得願寺
下新町に在り、本堂は嘉永七年六月の地震にて倒潰し、其後
安政年間に再建したものである。
不動寺
新丁に在り、 (中略)然るに嘉永七年六月の地震にて本堂、
開山堂、庫裡等悉く倒潰したるを以て、方丈に大修繕を施し
て本尊を安置し、明治十二年漸く本堂を再建した。
仏性院
中川原町に在り、旧堂宇は嘉永七年六月の地震に崩壊したと
いふ。
天聖院
浜一色に在り、嘉永七年六月の地震にて堂塔殿舎悉く倒潰し
たが、其の後漸次修築して今に至った。
法泉寺
末永に在り、嘉永七年六月の地震に本堂其他倒潰し、明治元
年現本堂及び鐘堂、本門を再建した。
専念寺
往古より堀木町に在り(中略)嘉永七年の大地震に本堂其の
他倒潰し、(中略(明治初年遂に廃寺となったものである。
○「陣屋の変遷」
就中嘉永七年六月十四日夜の地震には陣屋守の住家を除く外
悉く倒潰したのは最も著しきものである。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 145
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 四日市【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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