[未校訂](注、江戸の被害、出火状況の記事は類書が多いため省略)
海幸主人江
商用ニ付江戸へ罷下り居候者、去ル二日之暁ニ江戸出立致し
逃返り候者ニ出会承り候処、同人申候ニハ、右二日戌の中刻よ
り大地鳴出し、何共不相知恐敷存居候処、追々動揺致し来り
候ニ付、漸地震と存し候処、次第ニ強く相成候得共、何分地
震ひ候儀強候故容易ニ馳出候儀難相成、其上世間寝鎮り候時
刻ニ付、いつ方にも燈火一切不相見、真の暗ニ在之候て、唯
々虚空の鳴、地の下の震ひ、家蔵の崩れ又潰れ候て、男女老
少の泣さけぶ声斗り相聞、実ニ肝魄も消候て、今や奈落ニ沈
候半と斗り存し居、逃出んとすれ共東西の分も不相知必死と
覚悟致し居候ハ、凡半時過ニ有之存候処、近辺の人家潰れ候
下より追々火の手立上り候ニ付、漸々右のあかりにて方角も
相知れ候程の儀、筆紙にハ中々以難尽、今も右の動揺思出し
候得ハ、身の毛もよだち候ト申、尚品川より藤沢宿迄ハ大あ
れニ御座候へ共、藤沢宿より上方ハ去年十一月已来の地震と
申位ニ候趣道中筋にて申居候、江州八幡へ着ハ十二日夜ニ候
事
安政乙卯十月十四日朝写了