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項目 内容
ID J1500295
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔浜浅葉日記㈡〕S56・3・31横須賀史学研究会校訂集編・横須賀市立図書館発行
本文
[未校訂]十月二日 北気ニ而陰、少々時々雨降
石や三人・虎吉傭石かけこしらへ、三ケ浦よりゑび五ツ至
来、勘四郎殿母・おふみとの湯ニ入ニ参、夜四ツ時ニ大地
震、土蔵かべ痛、仏壇香ろふ・花立不残落、時々少々ツゝ
震、本家より艮刻見舞として与吉参り、若者とも馬やニ而夜
を明し、あけ七ツ時頃ニ治郎吉供ニいたし本家へ見舞ニ行、
本家表土蔵はちまき・南東通り不残落、外之土蔵も大いた
み、福蔵泊り参り、新家土蔵瓦落大いたみのよし、夜中紺屋
との参り、尤、是は三崎へ行同所より急き帰り候よし
傭人
石や三人
虎吉
十月三日 北気ニ而陰、昼より西気ニ替り晴
当組合・芝下・孫右衛門・十郎兵衛見舞ニ参り、組合中はし
め新家・芝下・御宮へ参り、清兵衛殿・勘右衛門殿見舞ニ
行、林百蔵・左官三吉見舞ニ参り、尤、福蔵留主居へ参り、
本家より三ケ浦へ両家之使ニ而早朝ニ人遣し候、艮刻帰り承
り候処無事のよし、格別之事なきよし申参り候、林は大いみ(ママ)
のよし、上宮田御陣屋あら方つふれ、即死六人・乗馬壱ツ、
けが人多分あり候よし、夜ニ入候而も少々ツゝ震候、本住寺
様見舞ニ御出被成候、同寺へも行、夜ニ入伝右衛門殿参りお
ふみとのも参り、石や壱人傭
金五両本帳ニ入 勘四郎ゟかし金之内ニ受取
金壱歩 武之寺并本山かんけ 伝右衛門ニ渡
銭八貫文 紺屋より入
同壱貫六百文 同人より月掛ニ受取
弐百五十文 長坂かじやへつるへたが代ニ渡
傭人 石や壱人
十月七日 北気ニ而晴
脇土手こしらへ、仕立や手伝いたし候、福蔵早朝ニ本家へ行
夜ニ入泊りニ参り、夜中ニ両三度ツゝ地震あり、神奈川宿地
震ニ而焼失いたし、江戸御大名様かたはしめ七分通焼失のよ
し、新吉原つぶれ夫より焼失死人多し、荻野喜右衛門殿参

十月十七日 北気ニ而陰
前畑ふづきふみニ遣し、林仕立や昨日病気ニ而道より帰り候
よしニ而銭ニ風呂敷林より持参り候、干物仕舞ニ成、七ツ時
頃ニ地震、是迄日々少々ツゝ地震あり
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1785
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 三浦【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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