[未校訂]「若山日記」(藍野一六家文書)「公私日記」(渡辺信家文書)
等の記事によれば、
二日 雨、四ツ時大地震、明ケ方マデ十三度
三日 朝五ツ時地震
四日 天気 朝地震
六日 八ツ時地震、夜四ツ時地震
七日 六ツ半時地震
十二日 天気 七ツ時地震
十八日 八ツ時地震 夜大風雨
二十日 八ツ時地震
右のような次第で半月余りも地震が続いたようである。な
お、地震のゆれ方などについて、前記、公私日記には、
「[亥子|いね]ノ方(北北西)ヨリユリ来リ……庭の石燈籠倒レ、土
蔵壁少々ヒビ入リ候マデ……」とある。わが郷土茂原地方に
おいてもほぼ同様の状況であって被害はまず軽微で済んだも
のと考えられる。なお、六日の記事を見ると「今二日夜、江
戸表大地震『ソレヨリ大火ニ相成リ……』」の回状が来たと
ある。
以上、この度も地震そのものの被害は前々と大差はなかっ
たが、前記回状の示すように、江戸が大火災となったため、
郷土の支配地頭たちの住居など、ほとんど、大破または焼失
した。それらの復興費はあげて知行所農民の肩に負わせられ
たのである。その一例を渋谷村にみてみると、
「……私共村方、水損ニテ先年ヨリ困窮仕リ罷リ在リ候処、
昨[卯|う]年十月中地震ニテ地頭所住居向キ潰レ、破損場等モコレ
有リ、住居向キ取リ建テ等ニテ……要用金差シ出シ候様申シ
付ケラレ、[調立|ちようたつ]整イ兼ネ罷リ在リ候処、去ル八月中(二十七
日)大風雨ニテナオマタ住居向キ大破ニ罷リ成リ候ニ付キ、
マタマタ要用金差シ出シ候様申シ付ケラレ候処、村方ニテ金
子才覚出来申サズ難渋至極仕リ候、コレニヨリ当御役所御用
金拝借仕リ度ク……金百弐拾両拝借仰セ付ケラレ度ク……モ
ツトモ質地ノ儀ハ仰セ付ケラレ次第差シ上ゲ……」(矢部重
矩家文書)
これは、大地震の翌三年に村方三役連名で「駿府貸付役所」
へ提出した金子借用願書である。気象災害で前々よりとかく
困っていた渋谷村へ、地頭所の復興費を負わされ、まさに
「泣きつらに蜂」のてい。同村で金策もできないでいるう
ち、さらに台風による災害の復旧費の上納[下知|げち]をうけ、まっ
たく難渋至極。ついに万策つき、村方個人持ちの田畑を質地
にして前記役所へ金百二十両の借用申し入れをしたのであ
る。「泣く子と地頭には勝てぬ」とはまさにこのようなこと
であろう。