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項目 内容
ID J1500252
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔野田市史料集 六集〕S49・10・30野田市役所発行
本文
[未校訂]安政三年大地震に付御届書
乍恐書付を以御届ケ申上候
一下総国葛飾郡木間ケ瀬村慈眼院並左源太一同奉申上候去ル
卯十月二日夜大地震ニ付、江戸表御屋鋪様如何之御様子
哉、当村字小作耕地御廟所御石塔並石垣共ニ震崩れ御石塔
之内壱躰中程より打折レ候ニ付、其節、御殿様御屋鋪迄御
見舞御届ケ旁々可罷出之処、延引ニ及び奉恐入候、且田舎
にても殊之外損毛有之、尚当院之儀ハ大破仕恐ヲ茂不顧麁
文ヲ以御届ケ奉申上候、御殿様江宜御進達之程偏ニ奉希候
以上
安政三丙辰年
正月 日
下総国葛飾郡
木間ケ瀬村
慈眼院
檀頭 左源太
深津弥市郎様御内 金山良輔様
*旧木間瀬村之名主小沼(左源太)家蔵
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1696
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 野田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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