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項目 内容
ID J1500211
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔浦和市史三 近世史料篇〕S56・3・30浦和市総務部市史編さん室編・浦和市役所発行
本文
[未校訂](浦和宿之記)
〈25安政地震〉
安政二乙卯年十月二日夜四ツ時頃俄ニ大地震なり、宿在共土
蔵或は瓦屋根家作は大概潰レ壁土落、江戸土蔵造潰れ本所、
深川、浅草、吉原辺皆敷潰(ママ)る、焼失死人凡弐万八千人と申事
也、怪我人数多、高地は弛く低場至而厳敷所ニ寄砂を吹出シ
地割、中山道鴻巣宿辺ゟ和らか、日光御宮辺強く同在は静な
る由、奥州三春弐本松辺一切覚無之趣申来ル

義重〈花押〉
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1589
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 浦和【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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