西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J1400135 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1855/11/11
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和暦 |
安政二年十月二日 |
綱文 |
安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕 |
書名 |
〔家老日記(日記控赤沢助之進)〕真田家文書国文学研究資料館国立史料館
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本文 |
[未校訂](注、この文書は虫喰が多く、内容・文章とも〔監察日記書抜〕と大へんよく似ているので、それにない部分を載せる) 十月八日 一左之御届書御普請方御役所江御留守居□(ムシ)津田伝持参差出候 処、可成丈往来之障ニ不相成候様可差置旨、木暮又右衛門 様御差図有之旨罷帰、申聞之 外桜田新櫓内信濃守居屋敷、今度地震ニ而及大破候付修 復仕候処、手狭ニ而瓦取片付置場差支候付、屋鋪南之□(ムシ) 土手江差置申度奉存候、此段御届申上候 以上 十月八日 御名家来 津田伝 十月十日 一左之通御届書御助御用番久世大和守様江御留守居藤田繁之 丞持参、御取次吉川六(言カ)左衛門を以差出候処、御落手被成候 段、以同人被仰出候旨罷帰申聞 去ル二日夜地震ニ付居屋敷并愛宕下中屋敷・赤坂南部坂下 屋敷・深川小松町下屋敷潰破損等之覚 (注、覚の本文は「史料」第四巻六五二頁上一七行に始る届と同文ニつき、省略)
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出典 |
新収日本地震史料 第5巻 別巻2-1 |
ページ |
831 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
長野
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市区町村 |
松代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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