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項目 内容
ID J1400015
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔安政地震焼失図附録〕神宮文庫
本文
[未校訂](注、「史料」第四巻五八三頁下一四行以下の〔武江地動之記下〕と同じ話、及び他書にあるものと同じ話は除く。文章・話手の異なる場合もあるが、話の内容が同類ならば除くこととした)
深川元儁子話
○地震の前兆甚[些|スクナ]し、聊事替りしハ彼岸桜梨子桃梅返り咲阿
り、亀戸にハ緋桃のかへり咲あり、△九月末下総[我孫子|アビコ]の
辺に鶏小屋にとまらす梁の上へとまれり、△十月朔日昼向
島辺[烏啼|カラス]事夥し夜にいたり狐群りなく、△地震の二日前本
所御台所町深川元儁子箱に入置しに亀残らす死す、又宅の
辺鳶烏群り啼く事甚し、△十月朔日下総相馬郡立崎羽中辺
に山かゞち地中より出之動く事ならす

○向島に狐付あり、[檻|ヲリ]へ入置しに大地震阿るへき間檻より出
し呉よといひける

○大窪の辺御家人何某庭中より[蚯蚓|ミミズ]の夥敷出るを看て是地震
の兆なりとて、九月末より庭中に野宿す、近隣の輩是を譏
りしか果して地震し家潰たれと合家怪我なし
田中氏話
去年十一月四日地震の日、相州鎌倉の人武州六浦の杉
田へ所用阿りて趣し時、金沢能見堂のこなた関といへ
る所を通りし時、樹木の梢より韓(ママ)の間へかけ俄に動揺
しけり、地上ハさしもの事もあらさりしか、程なく大
風の[扇|フキ]来る如き物音阿りて[烏雲|クロクモ]頭上に[敞|オホ]ひけり、斯て
此所を通行しかハ阿はてゝ此所を通、山を下りて里阿
る方へいたりし頃、はや家々顚倒したるをもて大地震
阿りし事を知りたりとなむ
村田平右衛門殿話
○上野御宮の社家御連哥師金子主馬名ハ貞起、隠居して浅草
橋場に[栖|スメ]り、九月晦日の頃乃連哥に「命の際の秌(秋)乃暮方」
と阿りしか、二日の地震に家潰れて其身并に孫と下女三人
終れり
岡村庄兵衛殿
○深川六間堀町家主何某三谷三九郎所持地面俳諧を好ミて静雨と号し
けるか、地震の前日或宗匠のもとにて
枯果て一ト婦しはつく〓柳か南 静雨
けふもくだらぬ冬の川婦年 宗匠
此翌日地震に家潰れ、其身死し息子ハ危くして残れり、彼
句前兆となれりと
福島三郎右衛門殿話
○銀座人受払役泉谷七郎兵衛か妻娘乳母三人同し枕に潰家の
下に成りたるか、娘のみ中に寝て阿りしが助り、左右の二
人[圧|ヲシ]にうたれて死す
長井帰朴子話
○金座人山本新次郎去年冬災後浅草大恩寺前に住す、地震の
日新二郎ハ泊番にて金座の役所にあり、留守中住宅潰れ家
婦懐姙して阿りしか娘とともに死す、老母ハ引窓より助出
したり、外に娘一人備前屋へ奉公して阿りけるか是も御屋
鋪の潰れし時[圧|ヲシ]に打れて死す、又此娘に[介副|カイノへ]とて出せし召
仕の女もこの節俱に死せり、阿るし是を聞志ハらくハ狂を
発しけるか如くにてありけるとそ
清元佐登美太夫話
○醬油御用達石渡庄助若年の頃酒色に沈り、終に家産を破り
浄るり語となり清元慶寿太夫といふ、又国芳に浮世絵を学
ひて哥川芳勝と云、山之宿九品寺藪の内乃側に住しが家潰れて死
す、妻ハ残れり替りたる話ハなけれと知れる人故こゝに誌

加藤岩十郎殿話
○本所石原外手町続 (ママ)寺の所化弱年なりしか、僧律を犯し
師の勘当を受て後、帰俗して浅草堀田原の辺なる俗縁の方
に食客たりしか、地震に彼寺潰れ住職も計らさる禍に罹り
寂を示しける後、住たるへきものなかりしかハ彼所化何某
ハ一旦の□阿りとも、幼稚より当寺に在りて生長したれハ
彼こそ然るへしとて、檀越より本寺へ乞て後住たらしめた
り、[加之先住|シカノミナラス]の遺金八百両を其儘譲受たりとそ
勝田三左衛門殿話
○三日の朝山谷浅草町に[鶴|ツル]一羽死して落たり、御鳥見分へ届
けしかハ即時見分ありて引取られし由、これハ地震に駭て
飛出て斃たる物なるへしと
同(加藤岩十郎殿筆記中)
○牛込築土酒店三河屋某か娘弐人阿り、二日の夜見せの方に
て召仕のものにや将棊をさして居るを見て阿りしか、最早
亥の刻にもなりしかハ将棊を見すして、疾〳〵いねよと母
なるものに叱られて其儘臥戸に入けるが、程なく地震し土
蔵の鉢巻といふもの落て屋上を破り、二人か上へ落かゝり
て即死す
中村吉左衛門殿話
○本郷新町屋[骨董舗|フルダウグヤ]の妻小児を抱き小便をさせて居たりし
時、地震ひ出し、椽側より庭へまろひ堕たりしに、豈はか
らんヤこの所麴[室|ムロ]の上にて土[裂|サケ]頽れたる穴へ落入直に打重
り母子とも助る事ならす
飯塚市蔵殿話
○同町なる木匠今七といふもの地震に懾怖し、妻とゝもに大
路へ走り出たりしか、これも麴室の裂たる所へ落入たゝち
に土覆ひ重りて死したり
○御茶の水定火消屋鋪火の見番人、地震の時下る事なしに戦
慄してかしこに在しか、傍輩何かし跡より登り来りて、先
に登りしものに向ひて云、我ハ孤独乃身也死すとも心残る
事なし、汝ハ妻阿り子あり必彼に心引るへし、たゝちに下
りて安否を問ふへしと云けれハ、其厚意を謝して、これに
替れり、それゟ後夜明迄数度大小の地震阿りけるか、臆す
る事なく次第に所々より出火阿りしを其方角違ふ事なく太
鼓を打当たる、よつて其信義と勇気を感して褒賞阿りしと

加藤岩十郎殿記録中
○市ケ谷の定火消屋鋪同心三津間氏なるもの十八九才地震の日
火之見の当番にて同僚三人にて詰居けるか、地震に驚怖し
て二人ハうろたへ下りたり、三津間氏ハ残り止り、火事毎
に太鼓を打て方角を呼たり、依て是を賞られ、見習勤なり
しか、新たに同心に召出され驚て下りたるものハ御叱り有
て、♠(ママ)を命せられけるとそ
岡村庄兵衛殿店
○小川町定火消屋敷当時ハ火消御免同心某ハ潰家の下に成たり、
息子二人材木をかゝげて助んとして骨折けるか、屋鋪の内
より火出て次第に近づき、兄弟か鬢髪に[燃付|もえつき]しかば、父か
云今ハ我運命も尽果たり、強ちに我を[援|タスケ]んとして汝等か身
を[誤|アヤマ]らんハ無益の事也、必(ママ)しも父を捨てとく落のびよとい
ふ、兄弟いかんともする事ならす、[途方|ト ハウ]に暮[て彳し|タヽスミ]を強て
促すにより、なく〳〵[火炎|クワエン]を[避|サケ]て此阿たりたちもとを(ママ)りし
内、次第に焼募てはかなくなりぬと、此組屋敷与力天野丈
右衛門夫婦子供即死し、老母壱人残る、都而此組屋敷にて
死亡凡五十人に余れりといふ
加藤岩十郎殿筆記中
○小川町雉子橋通何某殿長屋を借て住る、水戸山野部家浪人
某ハ不断酒を好ミしか、此時も夫婦共酔臥たり、妻ふと目
覚たるに、何やらん床の上重くセ間の騒しさに、怪しく思
ひ手をのばして夜着の上を探るに、此家の葭天井頭上に覆
かゝりたり、夫を起しけれハ此時覚て考居たるに、近隣の
人弥立さはぎけるまゝ地震なるへしと心付、天井を破り家
根より這出て、夫婦とも更に怪我なし

○川田窪の人小川町何某殿屋敷にて碁を囲みて居たる時、家
潰れて梁の下になりたり、されと物に支へられて存命也、
然るに其屋敷の家来二三人にて梁をかゝげんとするに力及
はす、往来の者壱人頼んて上んとすれと叶はす、隣家より
出火して次第に熾近付に、各当惑し早火近付ぬと云、潰家
の下なる男云迚も死べき命ならハ、火に阿ふられんよりハ
一ト思ニ殺し呉よと頼けれハ、各是非なき次第也、さらハ
叶はぬ迄も今少し掘て見よとて、人々脇差を抜、屋根の上
ゟ穿けるに、下なる者の手足等更にきら(カ)ひなく白刃の先数
ケ所当りけれと辛して助出たりとなん
雲雀堂話
○尾張町に小間物の類を武家へ商ひてなりはいとせる蓬萊屋
半二郎といへる者阿り、地震の時土蔵潰たるか息子半次郎
とて十八才になれる者壁の下になりたるか、如何してかい
さゝかのくつろきありて少しく息は通ふ様なれと、身体働
らく事ならす、日頃信する不動尊を一心に念して仰願くハ
我一命助しめ為へ、命助しハ速に剃髪し三十に余迄ハ妻を
俱セじと誓ひしか、程過て近隣の者集ひて土を分けて漸く
に援出して、息サシしかハ、神威を尊み父母にも其事を告
て互に喜ひ阿ひしか、速に剃髪すへきの誓を忘れ、其儘に
阿りしに、俄に狂を発したり、母驚ひてふたゝび不動尊を
祈り強にとらへて頭を剃りしかハ、翌日より正気になりた
りとそ
冨岡佐太郎殿話
○品川二番の御台場にて活残りし人の話に、此時地震とハ思
ひよらす亜墨利加の賊不意に大炮を発つて襲ひ来りしと思
ひ、急遽周章して海中へ飛ひ入り、溺たる儔も阿りし由な

頭注 二之御台場ハ会津侯御引請也
久保啓蔵殿話
○西の久保某矦の臣娘を本所辺なる商家へ嫁せしめたりし
か、夫并舅ともに大酒を好酔ふ度毎に人といさかひ、夫も
妻へ対し色々の難題をいひかけ、はては打擲に及ふ事数度
也、姑も又[跋扈|バツコ]にしておこ(痴カ)かりしかハ、[竊|ヒソカ]に実家へ逃て帰
らんとしけ[るを|イヂワル]見咎られて、厳しく[打檻|セツカン]に阿ひ、夫より後
ハ替る〳〵守り居て聊のひまなし、やゝ日数[歴|へ]て少しく怠
阿るを看て、日くるる頃逃れ出たり、追手もや来る迚小舟
をかりて漸くに里方に帰り、夫より他家に忍ひ隠れて居り、
里方にても心待して昼夜安き心なかりしか、如何してか来
らす、一両日を過て地震阿りそ乃嫁たる家潰れて挙家死し
たる由聞えしかハ、里方の一家こぞりて悦ひける由、是ハ
普通の人情是非なけれと、其妻も又俱に地震大明神鯰大権
現といひて喜ひあいけるハいと悪むへくこそ
○四谷御門外麴町十三町目質屋伊勢屋勘兵衛、息子と土蔵の
前なる座敷に碁を囲居たりしか、土蔵壁落る時即死す、息
子ハ逃出たり是ハいくらも有る談なれと知れる人ゆえこゝに記す
深川潜蔵殿話
○本所松坂町二丁目の内土俗上野屋鋪又誤つて師直やしきとも云と唱ふる
長屋潰れ、同時に廿七人即死せり
堀内雪堂殿話
○本所御船蔵前町酒屋 (ママ)家潰れ直に焼て七人程死す、家内残るものなし
此阿たりハ此外にも一家皆亡ひ失たるか阿りし由なり、此
町者二ケ所程火出たるか故己〳〵家にかゝつらひて他人
を助るの暇なし、都て家潰し上に火起りたる所ハ怪我人多

長岡町茶店話
○或武家の家来三人本所長岡町菊屋といへる[貨食舗|リヤウリヤ]の二階に
酒呑居たりしに、地震の時家内の者皆逃出し、二階の三人
ハ酩酊の儘前後を知らす程なく家潰れしかハ、助けくれよ
といふ声をきゝて近隣の者打寄り、漸二人をハ助け出しけ
るか、壱人ハ死しけるとそ
深川元儁子話
○深川常盤町に質物両替をなりはひとせる大黒屋某、近き頃
より蕃昌して呉服類の店を志つらへ、十月二日見せ開をな
し、代物多く仕込たりしか、此夜震災の殃にかゝりて家蔵
并に商売の品質物まて残らす焼失たり

○杉田成郷といへる人山伏井戸に[栖|スメ]り、蔵板の書類を[售|ウリ]て世
を送る人なりしか、地震の少し前下谷へ移り、板木家財残
らす焼て一物も残る所なしと
補杉田氏此後蕃書調所教鞭方被命三十人扶持を賜ふ

○馬喰町旅舎何某か家に鹿島の御師某泊り居たりし時、地震
阿りしか、彼中風といふ病にて歩行なりかたし、家内皆走
り出けれとも、止事なくて布団の上に座したりしか、頓て
[揺止|ユリヤミ]て恙なし、いかゝいひふらしけむ、さすかに鹿島の御
師なれハ彼神の守らせ給ふて事なかりしといふ噂一般にな
りて頻に神符を乞しかハ、「ゆるくともよもやぬけしの要
石々々の哥を書て与へしかハ、求る人次第に増けるとそ、
志るるにこれにつかはるゝ手代某此夜花街に趣きて酒に
酔、地震の時潰家に阿りて如何してか溝の中へよろひ落、
幸にして[四肢|シシ]を全ふして帰りしかハ、是も神の守らせ給ふ
所とて弥信を増けるとそ
長岡町茶店婦人話
○本所南割下水典薬頭今大路右近殿、地震に家悉く潰れ、主
人内室娘并家来皆死したり、残りしハ息子と若党一人のミ
と云々
○町方同心南御組岡本角助三十余才十年程以前御前手の組へ
入、本郷の辺に住す、御馬預り諏訪部紋九郎殿と懇意にて、
二日の夜も其屋敷に趣き対話して阿りし時、潰れて主君と
ともに即しゝたりと聞り、御息女女中中間外ニ壱人合六人程巨材にひしがれたりし由
深川元儁子話
○四谷の辺に住る信州辺の産何かしハ、地震の時たゝちに大
路へ走出たりしか、在り合う斧を持て欠出しか、いかなる
故か深川のほとりに行、こゝかしこ阿るきしに、家潰れて
泣さけひけるもの阿り、相応の冨家と見へけれは、我この
斧を以て汝を助得さすへし、汝所持の金阿らハ五十両を得
さすへしといふ、かの者答て望の通り与ふへき間、速に助
けくれよといひけれハ、たゝちに斧をもて材木を薙て助得
させけり、則約束の通り財布探出して与へしを、持帰り改
しに内に七十金阿り、廿両余計なりとて翌日かへし与へし
とそ、又この阿たりに[鳴呼|オコ]の者阿り、この噂を聞て翌日金
儲けすへしとてそここゝ尋阿るき、幼子の泣く声を聞て潰
家の下より助け出せしか、志るへの人も居らされは、其日
は家に抱き帰り、次の日行て、父母を尋しに皆死したりと
聞て、拠なく昼夜幼子のもりして過しけるとか

○下谷紅葉番所の際に住る浪人桜任蔵、いかなる故にや、去
る方ゟ水府侯の臣藤田誠之進へ送るへき金子を預りしか、
地震の時藤田氏一家亡ひぬと聞て贈るへき方なく、近隣の
貧人へ頒ち与へたり、此由御舘へ聞えて尚金子と米穀をさ
へ賜りしかハ、[再貧|フタタヒ]人へ恵むへき由願ひけるよし
楓園話
○今戸町住居浪人[石河疇|イシコ チウ]之辺家潰たり、其家三階造にて悉く
潰れし時、阿るしハ下に居り、二男ハ二階、惣領男子ハ三
階に阿りしか、残らす恙なし、是も一奇のうち也
深川元儁子話
○越中侯の臣内藤某家忠二郎冨たり町宅して深川万年橋清住町の側に居せ
り、壮麗たる家作りなれと、此辺震動烈しくして壁土震ひ
落家顚倒したり、其家の娘并に或御旗本某ゟ貰受たる養女
とともに土に埋れ、材木に挾れて出る事ならす、常に出入
せる大工鳶のもの欠付来りしかハ大鋸をもて巨材を引切て
家の娘ハ漸くに援け出したり彼養女ハ壁に埋れ泣居たりし
か家の娘を助るに暇とりて後になりたれはかの土次第に重
り息を止終に空しく成しとそ
○熊野牛王所覚泉院ハ下谷御数寄屋町に住す地震に家悉く潰
れて阿るじ夫婦養母小児二人下女壱人合六人家の下に成り
苦しみしか家婢かね上総の国天羽郡の産といふ者おのれも差鴨
居といふものに挾れしを強に引抜て這出し主人の名を呼し
にかれく(ママ)に答するを聞て悲歎にたえす瓦家根板のぢといふ
物なと取除たれと微力の及ふへきに阿らされは泣声を発し
て主人の命助けくれよと呼はり阿るき近隣を頼み辛ふして
材をかゝげ衣服を脱せて[援|タスケ]け出したり阿るしハ重き疵をか
うふり其外も各疵をかうむりされと皆存命也其余主家に仕
へて誠忠の事とも公儀へ聞えしかハ十二月下旬官府へ召れ
て御褒美阿り銀子十五枚を賜りたり此縁者新黒門町の角[小|ヲ]
[倉蕎麦|クラソ バ]の阿るし喜兵衛も土蔵の鬼瓦頭上に落て死したり
○神田明神の御告阿りしといふ事専人口に[膾炙|クワイシヤ]す地震火事の
時神田ハやかぬ〳〵といふて通りしもの阿り其余色々の噂
阿れと後日訂正して加ふへし
田中平四郎殿話
○日か窪なる毛利侯の茶道古川唯信諸技に[亘|ワタ]りて多能の人な
り主君乃寵を得たりしか同僚の偏執によりおこ(痴カ)かりしかハ
致仕して後是空と号し品川東海寺の境内に寓し又市中にも
住居しけるかこの頃浅草寺奥山人麻呂社の傍に在りける故
人[藐|ミヤク]庵か栖阿らしたる庵を求め新たに修理を加えて知己
の輩を招茶会を催さんとしけるうち地震の時田町の[後炎|カウエン]此
所へ移りて新宅悉く灰燼となりぬ霜月の初旬にハ此所に仮
の住居を営み十一月十九日ハ元の庵主藐庵か三回の祥忌な
れハ[柯茶|カサ][糲飯|レイハン]をもて[知己|チキ]に[饗|キヤウ]する由聞つ此日[誘引|イサノフ]人ありし
かと大風[扇|フキ]しかハ行すして止ぬこの人[売茶|バイサ][翁|ヲウ]高遊行の昔に
[慣|ナラ]ひてまことの一服一銭を[肇|ハジ]むへきの催しもある由聞り
○九月廿八日の頃浪花に大地震阿り俳優市川猿蔵兄団十郎か
墓に詣し時地震にて石碑覆り是に触れて死せりといふ事専
に噂せり然るに彼地に於て少々の地震ハ阿りけるかさせる
程に阿らす猿蔵ハ病ミて死したる由なり

猿蔵の兄八代目団十郎去歳安政元寅八月大坂に死せり
○十一月両国橋阿らたに懸替の御普請成就す同廿三日より貴
賤往来を免たる此日官府よりの御沙汰として長寿のものを
して渡り始をなさしめらる南茅場町家持酒店小西惣兵衛か
父母此撰にあつかり其身妻并息子惣兵衛夫婦孫三蔵夫婦合
三夫婦渡り初をなす都下の衆人東西の[研|キシ]に[駢闐|ヘンテン]して是を見
小西弥惣右衛門八十四、妻六十八、忰惣兵物す衛四十五、妻四十五、孫三蔵廿六妻廿三
○立斉桑田氏地震前知の記とて一葉を贈られたり[厥|ソノ]記に云磁
石ハ地震を前知するの一法となる紀元千八百五十三年の史
に此法を記載せり疾風大雨の如きハ晴雨儀を以て前知する
事を得るといへ共地震を知るに至てハ今日に至る迄いまた
世に明なる事なし「ラッチメントン人名フランス国の使と
して其和国アンケンテンス地名に至りし時パリースフランス大都
府の名の学校より地震を知る乃発明の一法を伝送せし也其法
ハ鉄の小片を磁石に附着せしむる物にして他物を用るに阿
らす地震前にハ磁石鉄に親和するの力暫時の間消滅す故に
附着せる鉄必落つ是を地震の前兆とす○ラッチメントン曰
アンケンテン地名の衛と学とに精達せる主将アレキュイパ
地名に多年寓居ありし間磁石に其功能阿る事を屢[試験|シイケン]し是
を[確定|クワクテイ]せり「アンキュイパは地震極て多き地なれハ也此一
大発明は「パリース」学校を待て始て世に知れりと思ふ事
なれ「エレキテリテート」と「マクネチ〻ミユス」との数知
の理既に明なるに因て学問の道に於ても微々の論なきに阿
らす而して「エレキ」乃力は地震に[固|モト]より障碍を受る事は
既に世に知る所なり○鉄の小片釘の類を磁石に付け家の柱木
に下け其下に皿にても何にても音のする箸を置なり地震の
前にハ磁石の鉄を吸ふ力暫時の間消滅する故に鉄必落て箸
に阿たりて音阿るを地震乃前兆として早く逃れ避へしと云
云この桑田氏ハ深川海辺大工町に住して種痘を弘めたる人
也地震に家潰れ三才の娘を失へり
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-1
ページ 258
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
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