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項目 内容
ID J1300185
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔中野村史〕○広島県
本文
[未校訂]第四節 地 震
 明治五年三月二十一(マ マ)日稍強烈な地震があった。村民は皆
屋外に避難したが、幸に人畜に被害は無かった。ただ奥中
原字大沢田峯一帯に延長五百メートルに亘る亀裂を生じ、
又細見、大蔵神社の裏山にも若干の、亀裂を生じた。震源
地は浜田附近で余震が一週間も続いたという。本村北部方
面は震源地に近い関係上、被害も大きかった模様である。
 次に当時の記録によって、その概況を抄出する。当時積
雪は三尺余であった。
村別
家土蔵半壊
田築地欠壊
畑岸欠壊
屋敷築地欠壊
溝土手欠壊
馬車往還欠壊
橋梁落下
苅屋形
三軒
七〇間
四間
四間
一箇所
三箇所
一箇所
南門原

一六





大利原

三四





土橋

六三






一五
一八三




出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 399
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
市区町村 中野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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