[未校訂]第四節 地 震
明治五年三月二十一(マ マ)日稍強烈な地震があった。村民は皆
屋外に避難したが、幸に人畜に被害は無かった。ただ奥中
原字大沢田峯一帯に延長五百メートルに亘る亀裂を生じ、
又細見、大蔵神社の裏山にも若干の、亀裂を生じた。震源
地は浜田附近で余震が一週間も続いたという。本村北部方
面は震源地に近い関係上、被害も大きかった模様である。
次に当時の記録によって、その概況を抄出する。当時積
雪は三尺余であった。
村別
家土蔵半壊
田築地欠壊
畑岸欠壊
屋敷築地欠壊
溝土手欠壊
馬車往還欠壊
橋梁落下
苅屋形
三軒
七〇間
四間
四間
一箇所
三箇所
一箇所
南門原
四
一六
二
二
一
二
─
大利原
二
三四
─
三
─
三
一
土橋
六
六三
─
─
─
─
─
計
一五
一八三
六
九
二
八
二