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項目 内容
ID J1300160
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔元布施村の史誌〕○島根県邑智郡
本文
[未校訂]往古は不明近世の震災について記載してみたい。
 明治五年旧二月六日午後四時四十分浜田付近を中心とし
て石見は勿論中国全体に亘って大地震があった。天変地位
(ママ)のある時多くの場合何かの型に於て其の前徴があるといわ
れているが、浜田地震もその前徴とみなすべきものがあっ
た。発震一ケ月前に那賀美濃の沿岸及[簸|ヒ]川郡北半に於いて
未曾有の降雹があり、更に一週間前から石見の海陸から鳴
動を発し漸次強大になり発震数分前に至り海陸変動の為退
潮を起し遂に午後四時四十分浜田西北西に当り轟然たる地
鳴りを発して激震を起した。尚明治四年旧十二月二十六日
の夜石見の北方広域に亘りて極光を観望した事も珍らしい
現象として大地震と結びつけて取り沙汰されたものであっ
た。烈震区域は約四十方里に及び死者五五二人負傷者も死
者と略同数あり家屋の全潰するもの四、三二四戸に及び本
県に於いてはそれより約二〇〇年前の津和野地方の大地震
以来の強震であった。震源地は浜田の西北西四五里の海中
で海鳴りの方向と海水の津浪現像(ママ)と震後上下動区域内の海
岸の隆波の実現等で確実に知る事が出来た。そして其の地
帯は主として第三期層に属する石英粗面岸帯を帯状に震動
させたことが明かにされた。本郡は祖式川戸・谷住郷・君
谷の被害が最も大であった。
 本村でも古老の話では当日発震前地鳴りあり、その後上
下動の大地震あり一同驚いて戸外へ飛び出し成す処を知ら
ず畜舎の牛は一済に啼き出し人心は恐怖のドン底へ突き落
された。幸い家屋の倒壊人畜の被害は無かったが戸障子は
はずれ道路に亀裂が出来た。人々は余震を恐れ竈の火を消
して万一に備え土地の亀裂による危険を除く為家畜と共に
竹藪に入り地震小屋を急造して夜を徹し恐々として全く生
きた心地もなかったという。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 295
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 布施【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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