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項目 内容
ID J1300161
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔美都町史〕○島根県美濃郡
本文
[未校訂]二月六日最もはげしく、その後も数日続く。家は危険なの
で人々は小屋がけをして住んだ。家の倒壊したものが沢山
あった。二川では七戸全潰している。(中略)
この地震の見聞談
海老谷梅太氏(この人は明治五年生れ故後に聞かれたの
であろう)
立安寺の後には温泉が湧き出し、吉野屋のとなりにそのた
め湯屋がはじめられた。(誰であったか不明)また田の中の
タニシはそのため悉く死んだ。
弥重槌太郎氏談(当時十歳で丸茂元田屋住)
甥の米治の守をしていたが急に歩けなくなった。ちょうど
紙漉をしていた家の者もあわてて外に飛び出し、木等に捉
まって倒れるのを防いだ。井戸水は白くにごって水量がふ
え、また今まで水の出ていなかった所から湧き出した。そ
の後も地震は続くので家屋の倒壊を恐れて外に小屋掛をし
てねた。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 296
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 美都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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