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項目 内容
ID J1300155
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔出雲市誌〕
本文
[未校訂] 明治五年三月十四日午後四時三十分すぎに起つたいわゆ
る浜田地震は震源地那賀郡の被害が一番ひどく、邇摩・邑
智・安濃としだいに少くなつているが、当地方は東乃至南
の方向の激震動を示し大きな損害を受けた。地盤の上下を
見るに遙堪村の南部では五町歩の地が十二米も低くなり、
荒木村では反対に高くなつており、園村では一町三反の地
が沈み、「高松村誌」には松寄下村で田地を免租した所が多
くできたと記している。那賀郡国分村や波子海岸では〇・
七乃至二米も隆起して畳ケ浦千畳敷のできたのもこの時で
ある。
(頭注)
震源地─浜田西北西方海底
浜田地方をはじめ全被害
死者五百五十余人
家屋全潰 四千三百戸
(市誌「浜田」による)
出雲市地区で全潰六十戸であるから半壊や傾斜家屋、あ
るいは壁土の亀裂剝落などは相当多かつたと見るべく、簸
川出雲の死者一四人とあるがこれは町村別記録がないから
不明ではあるがおそらく大社町が一番多かつたのではある
まいか。道路の亀裂や水泥土の噴出などは各所にあつて、
人々は繰返す余震と伝わり来る流言に恐れおののき、竹藪
へ避難する者もあり、野外に小屋を建ててすごしなどした
という。(後略〔伊波野村誌〕遠藤家文書と同文)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 293
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 出雲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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