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項目 内容
ID J1300145
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔岐久村誌〕○島根県簸川郡
本文
[未校訂]明治五年の大地震
浜田地方の地震といわれている大地震で、浜田の近い処が
震源地であつた。明治五年三月十四日午後四時三十分すぎ
に、西の方から「ドウドウ」という音がしてきたと思うと
たんに、大きな音をたてて激しく揺れだした家は道路の向
側の家の□と殆んど触れ合う程であつた。山の木々はぶち
当つて「カチカチ」と音をたて、池の堤はうねうねとして
見え、田にたまつた水は波打ち、あちこちの畑の中の綿井
戸は大てい水底から土がもり上つて畑と平になり、傍の小
山が陥没したり、向下から円通寺山を過ぎて胎泉寺ケ根津
まで大きな地割ができ、ところによると泥水をふき出して
いた。久村の横町や浜では多数の人家が凄じい音をたてて
将棋倒しに倒潰して、空はほこりで濛々とかすんでしまい、
実に阿鼻叫喚の巷と化したが、揺り初めた時が昼間であつ
たので火災は起らず死人も重傷者もなかつたのである。人
家の倒壊したもの三十軒破損した建物は多数あり村中の
人々は田や畑の中に掘立小屋を急造しておいてゆり出すと
直ぐそこに避難し、ゆり止むと家に帰るようにする事約三
十日間に及んだ。余震は五十日間も続いたという。
 多岐、小田、田儀などの地は第三紀層や第四紀洪積層で
地盤が堅いので地震が弱くて損害も少ないけれども、久村
の平坦部は第四紀沖積層で地盤が弱いから、地震は他の地
区よりも強くて損害も多くなるのである。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 288
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 岐久【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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