[未校訂]二月六日 八ツ下刻金九郎儀店口にて勘六と遊居り候所
大いなる地震ゆり大いにたまげ立上り 家内の者は門へ飛
出し候所 早速に納まり安心致し候 然る所又七ツ下刻の
頃より前代未聞の大地震ゆり出で 皆々外へかけ出で 勘
六が出で申さずと外より声を掛け これはと思ひ納戸へか
け込み候所見え申さず候 気遣ひ後の座敷へかけ込み 何
も居り申さず 又外より勘六は出で候と申す これはおみ
が後ろよりうら門通り連れ出し候 且つ勝手へ出で候所
庄三郎火の元を申し 納戸より新座敷のこたつへ水を打込
み 金九郎は店のこたつくどの火を水に打消し 夫より仏
壇を開き見れば 何も角も崩れ出し 如来様を御供仕り候
所 そこにて立留りはづし候折柄 誠にがたがたがたゆり
恐ろしくようようと門のやとうのだい石の上にて巻き 御
はこに入れ首にかけ 外より口々に早くそこを逃げよあぶ
ない〳〵と呼び 下を見れば肥納屋の後石垣崩れ屋根を押
しつぶし 前の土蔵大納屋はがんぶりのわき七、八枚通り
づりかけ候えども 程能くとまり下へは落ち申さず候 前
土蔵上の平弐間口余り腰瓦より下落ちて うら板見え候様
相成り 後土蔵も上の平より後の方五間口も腰瓦より落ち
申候 尤も壁悉く割れ目入り居り 宅は格別の事は御座無
く候 中迫の方は 前の上り道双方へ石垣崩れ 人間だけ
通行相成り申候 土蔵瓦三分にして壱分位瓦落ち申候 地
形も多分損じ壁も割れ 納屋の後石垣崩れ 段々損事所多
く 誠に恐ろしく言語道断に候
六日夜 迚も内に居り候事相成らず 舟に苫をかけ 家内
皆々出で 金九郎を始め源造・庄三郎・庄一らは門口に莚
を敷き夜明し申候 尤も源造は入湯致し居り 誠にたまげ
帰り 湯屋口は大騒ぎの由、長屋庄一千原へ参り居り こ
れもたまげて帰り候所 [一坂|ツンザカ]の方石がまくれ道が割れ危き
所 馳け出し通り帰り候由申し候
地震は少し宛間を置き 前の程にはこれ無く候えども引続
きゆり 樅の木などもゑぶり廻し候事 弐尺余も傾くよう
に候て 恐ろしき事に相見え申候 舟の者は如何にと思ひ
川端へ出で 恐れ咄を致し居り候所 隠居の上と思はしき
所大造石がまくれ仰山の音にて 隠居に飛びかゝり候と
皆々申し気遣ひ候所 運の良さは少しはづれ何の障りもな
く悦び申し候
三国屋卯四郎殿六十一歳年賀につき 前以つて沙汰これあ
り 岩三郎儀八ツ時より出掛け新宅源四郎殿同道の積りに
候所 同人少し用向きこれあり 一足先きに参りかけ候に
つき 林半ばまで参り候と右大地震誠に驚き候由に候所
上へ山石がまくれ大変の事 よう〳〵三国屋まで馳けつけ
候所とても〳〵年賀所にこれなく 一同心配の由 此元に
ては岩三郎如何致され候やと気遣ひ 同人は内を気遣ひ候
由に候
註、ここの部分、最初の記述は次の通り。
岩三郎儀三国屋卯四郎殿六十一の年賀につき招ばれ 八
ツ頃より新宅源四郎殿同道にて三国屋へ参り大いに気遣
ひ候 安吉は入湯致し居り候処 湯やもことの外大騒ぎ
にて帰り候所誠に心痛致し候と相見え申し候 同夜迚も
家の内には居られ申さず 婦人ども舟住みにして 金九
郎・源造・庄三郎は門先きに莚を敷き通夜致し 家の内
に居候ものはこれ無し
七日 朝 夜立ちにて松太郎都賀行へ岩三郎迎えに遣はし
候所 林の上に帰りかけ居り 同道致し帰り 其の咄し
岩三郎前日林まで立寄り候と 大地震にて少々見合はせ
それより三国屋へ参り候所 追々ゆり立て 年賀の儀式も
相ならざる内に 同家にも焼物類段々めぎ候由 怪我人も
四人これあり 一人[艾巳|よもぎ]代二忰 新屋に奉公致候分は 迚
も全快相ならずと申し候事 扨て艾所々[潰|つ]えぬけ致し候
曲り辺も悉く所々石垣崩れ候由に候
浜原より大変の趣見舞状参り 大谷山崩れにて家蔵なども
一向見え申さざる様相成り候由風聞の趣 双方より知らせ
くれ候えども 余りの事につき疑ひ居り候えども 吉久屋
より慥かの咄し承り候段 熊見行きにつき明日左右聞き遣
はし申すべしと申合はす
沢谷は上へあがり新や奥趣 人々相咄し候 赤名辺の様今
山かじやに参り候者の咄と申し 格別はこれ無くと承り
これより川上も格別の事はこれ無き様子風聞これあり候
夜に入り候て度々ゆり折々たまげ候様にこれ有り候
八日 朝 此元庄一郎・松太郎両人大谷へ遣はし候赤名
後藤屋より年始旁々人参り 同方の様子は至つておだやか
の様子 備後辺も格別はこれ無く 櫃田辺りも気遣ひはこ
れあるまじくと申し候 其所大谷より人両人参り 早速相
尋ね候所 六日夕方大地震にて山崩れ 双方大造に潰えぬ
け家も蔵も埋もり人は一人も助かり申さず候 家内表六人
下女一人下男一人日傭人二人 以上十一人の内下男一人助
かり候由 誠に驚き入り候事に候 その[行成|ゆきなり] 後藤屋より
参り候者に伝言致し候 右大谷より参り候者は泊り 其夜
は金九郎も舟に泊り保吉・庄三郎 門の木屋にて番を致し
其日皆々ねず(不寝)を致し候 五ツ頃庄一保太帰り候所 以ての
外大変 さて〳〵驚き入り又歎かはしく一同悔むばかりな
り天津殿より中原部屋の内人夫五六人召連れ参り呉れたし
[何角|なにかと]期待の儀に伝言につき申合せ候えども 何様小原辺よ
りは別して痛み所多く 道中も本道筋は迚も行歩相成らず
大造の潰えぬけ多く ぬけざる所は五寸も一尺も割れ 山
も曾根の平の差別なし 割れ目を見るに 底は見え申さざ
る程深く割れ通り居り 池田にてぬけ木口未だ定まらず
三瓶山も十文字・亀の甲の如く割れ目相見え候由 此上も
如何様の事出来候も計り難く誠に恐しく候
九日 大谷飛脚同道して参るべき筈に候えども 今日は六
ケ敷 明日は参るべく候間 人足は先きに帰り候様申して
帰えし 当所より人夫差出し候事 麻畑ケ相済まざるにつ
きむつかしく 依つて今山より二人 中迫より手伝い一人
川戸より四人 浜原四人 以上十一人 拙者名代勘一郎差
遣し申し候積り それ〴〵手配致し候 さて地震も追々ち
さく相成り候様には候えども 度々に候て一向油断相成ら
ず併し舟の住居も余り窮屈につき沖の立道の
[下木口|しもこぐち]に 二間四方[木屋|こや]を掛け 金九郎ほか女房どもはそ
れまで引取り 舟には岩三郎・源吉そのほか居り候
十日 右人数銘々鍬・鉈の類持たせ差立て申し候 昨九日
朝 中田屋丈一殿参らる 同人儀は先達つて浜田へ参られ
六日新本町のはづれ片町の処親類これあり 同方へ参り久
し振りにつき酒一つさし出したく申し持出す所にどつとゆ
り出し 驚き入り飛び出し五間ばかり立退き 跡を見れば
最早家ははねこけ候 それより将棋倒しの如く押しめぎ
田町の道具屋へちよつと馳けつけ候所 皆々倒れ道具屋辺
り四、五軒はかなりの趣 又出火になり 我家の事案じ
荷物はさて置き身柄ばかりからすねにて昨八日暮々に帰り
候由 御咄しに候
十日 八ツ時頃 大谷より飛脚 昨九日夕方若旦那は掘り
出し候につき 今日御出でなされ候と申す儀につき 相尋
ね居り候所 余りおそきゆえ 若し間違ひ候てはと存じ
又々差向け候との事につき 金九郎ただちに参り見たく存
じ候えども 余り道中も恐ろしく 又先方も行く先き 多
く割れ目これあり 何時ずり申すべくも計り難く 皆々変
更致し候様申すにつき[拠無|よんどころ]く安吉を遣はし申すべき積り
さて飛脚は牧原と申す所の者に候所 同所も廿軒ばかりこ
れある所 十軒もめげ 四・五軒はこけかかり 迚も内に
て居られ申さず 五軒位可成り居掛り居り候由 大谷との
間に西田と申す所 家十軒程これあり候所 二軒は埋もり
三軒はめげ これも五軒のほかはかなりの趣きにて居り候
家これ無く 其所死人多分これあり 今朝参りかけ死人一
人掘り出し候を見受け参り候と申し 其ほか何程の家・田
畑・山などにて押しつぶし 荒れ所出来候や相訳らずと申
し候
又暮れ方新介今山より参り候者両人帰る
十一日 此元より保造人足友太郎・兼造・浜原新之助は道
の様子能く相知り居り候につき 同人召連れ大谷へ差向け
申し候 大谷より昨日二人参り候所 一人は不気分につき
川戸にて休み居り 同所より林作附添ひ参り候 右につき
大谷人足朝早く川戸まで帰る
さて浜田の死人凡そ百廿人 けが人は数相訳らずとの事に
御座候 松原辺は助かり候様子に御座候
十二日 兎角地震納まり申さず候 先日八日七ツ時より夜
の九ツまでの内 大変な事出来候と申し気遣ひ候所 何た
る事もこれ無し 又十一日・十二日と申す事に候につき案
じ候所 これも折々ゆりはあれども さしたる事もこれ無
し 又十五日迄の内危しと申す これは小原にて役人触れ
これあり候由 次郎咄しに候
十二日 夕飯後勘一帰り候 様子承り候 友太郎ほか今山
より参り候者三人連れにて帰り申候 準之助儀[門長屋|もんながや]より
向ふ凡そ拾弐・三間押出し 右長屋まつさかしにかやり居
り[如何様|いかさま]駒太郎ども連れ出す心得にや 座敷へあがり候所
迚もきびしく大ぬけにて そとへかけ出で少しの竹壁に取
りつき それなりにて押しつぶし候様相見え 尤も家はさ
かさまに相成り居り 向ふ山寄せに飛び 準之助もわづか
土は五寸ばかり掛り居り候由
尤八日 庄一・松太郎両人差遣はし候節 右うもり居り候
所へ参り見候節 どこか臭い致し 此所に埋りなされ候や
と 両人咄しは致し候えども 岡より山崩れ候間 早く立
退き候様 大声にて呼び 又地震は折々ゆり恐ろしく逃げ
候由申し候 さて下男飛び出し候咄しは 庭にて釜の火を
焚きをり候所 大きな音致すと飛び出す その時旦那はあ
がり立てを上りなされ候を一目見候計り 大旦那文女は客
殿にて仏参り致し居られ 若かみ様はやれかゝさんと客殿
の方へ馳け込みなされ候と存じて 私儀は馳け出で[へ|塀覆](壁塀・板塀)をい
のこけ候上を飛び越し 石垣の脇にまくれ落ちると 上よ
りぬけ候土石垣の上を中に飛び 誠にあやうき所を逃がれ
候と相咄し候由
さて準之助事身柄にけがもこれ無く 西へ向き眠る如くに
て死に居り候勘市大に心配致し幸い利作参り候につき
同人手伝ひ 両人して身柄のしごを致しくれ候て 大津屋
の座敷へ連れ戻り候由 ○十二日九ツ時葬式致しそれより
勘一・友太・今山より参り候者帰り [かみ|髪]を持帰り外に掘
り出し候着物の中 上置きに相成し候分 先方[総頭|そうかしら]に伝言
して原蔵持ち帰り候
十三日 文蔵参り 此間北升や娘 小松地へ参り居候ひさ
連れ行き候所 ひさが家めげ候 都て組合二十二軒の内只
二軒外残りこれ無き由相咄し候
勘一郎帰り候節 源蔵も帰りたく申し候由の所 大内室死
骸出で候につき 此葬式を仕舞ひ申さずては 引取り申す
事むつかしく 何分替を早速差向けくれ候様に伝言これあ
り 又人夫の事もその日浜原よりも参り居り候えども 何
れ慥の人夫差遣し申さずては 諸書類・[金子|きんす]・着類など段々
出で候につき 人々寄り候ては 如何様相成らず当に相成
らず 裁量人慥の者を訪ね申さずてはと申す事につき啓二
郎相頼み遣す積り 三日谷より[助人|すけっと]参りくれ候積り[此元|ここもと]庄
一郎拙者代に差遣し 以上四人差出し申し候
翌日当処より少々滞留致し候様の者遣はしたく 左候えば
浜原・川戸より遣はし申さずても宜敷と申す事に候 同夜
四ツ下刻 源造・兼造同道にて帰り 内室見立て(葬式)
は相済み候所 又大旦那見え候由に候 是は一寸様子見直
ちに帰り候と申し候
十四日 [曲|まがり]の太助・祝太郎・助(蔵)当所力蔵 四人遣は
し 後にて雨天に相成り 道中[何角|なにかと]大いに気遣ひ申候 ○
丸山より左右聞きに人参り 同方も格別の痛み所はこれ無
き趣きに相咄し申し候 [杵築|きつき]は凡そ千軒もめげ候様子風聞
これある由
十五日 朝 大森飛脚参る 兼太郎御呼び出しに相成り候
同所地震の事大変の咄し致し候 五ツ時ゆり申し候 ちさ
き分はやはりゆり申候
夕六ツ時一ツ 夜五ツ時一ツ 同六ツ時一ツ 九ツ時一ツ
九ツ時又一ツ又一ツ 八ツ時一ツ 七ツ時一ツ
〆めて八ツ程大なる分がゆり ちさき分は知る人もあり知
らざる人もこれありと申す様の分は数相訳らず候 夜明け
に雨降り候所 早速止み後天気にて安心致し候 雨降り候
えば大谷へ遣し置き候人夫の事誠に気遣ひに御座候
十六日 朝天気に相成る 勘市咄しに大田新市は半方ごん
つにめげ 残りは作事致さずては居られずとの事に候 其
外損んじぬ家はこれ無き由
専修寺咄し 野間井手の[迫|さこ]善吉儀大めげにて女房子供を出
し 如来様御ともに入りこみ 脇ばさみ出掛け候所 家め
げ下タになり候 皆々死に候ものに思ひ居候えども 少し
もけが無し 如来様お供にて破風より出で候趣 皆々不思
議に思ひ候由 ○野間二名に候
○田口十俵[掛|がけ]くらい作致し候所 漸く六俵掛にして残りは
皆押しつぶし候と承る
○大家村浄土寺本堂すでにめげ候につき 後堂馳けこみ
阿弥陀様抱きて 居たり候堂前へ出かけなされ候所 本堂
倒れ御はいの木落ちかゝり 木に敷かれ腕首を折り [扨候|さてぞろ]
残念の由 愁歎致され候所 少しも気遣ふなおつつけ誰か
出られてくれ候であろうと 仰せらると思ひけるに おつ
つけ人夫あつまり掘り出し候 是は三日振りの由に候 そ
して出で見れば
○野間組は田畑合せて凡そ八分方押しつぶし候 日限少々
たつて相咄し候 余程大変に候
十六日 九ツ時大きなやつ少し間を置き二つゆり 其後又
一つゆり申候 七ツ下刻一ツ 夜明け迄に三ツ 尤も皆ち
さきばかり
明源寺より左右聞きに参り 又明道より源平同断 双方の
様格別損所はこれ無き様子に候 源平咄しに 浜田の死人
凡そ五百人と申す事に候 正国主人 在所加計へ参り居り
迎えの者遣はし候所 同所辺りは地震は誠にちさき事にて
邑智の様子聞きたまげ候様子に候 広島もいたつてやをき
様子 今日見舞い何角正三郎都賀行へ遣し候所 三国屋の
咄しには横田より人参り候所 殊の外大変 広島大めげの
趣き こくうをいばんヲめぐと声するとの由慥かの咄しに
候所 源平咄とは大間違い
十七日 朝より風少し出で申し候 尤も天気はよし 又浜
原乙原屋より見舞いに参り候者咄し 川本向ふ[反戸|たんど](谷戸)
より[三又|みまた](三俣)辺ニ二ケ村の内慥かの家只三軒の外これ
無く 後は皆めげ候由 七本まき十をうせう辺通り筋一軒
も残らず皆めげ 都て別荘にて家七十軒余りのうち 十三
軒外は作事致しはいられ候家これ無しと申す由に候 河戸
たばこやもめげ 其外過半めげ候様子承り申候 ○川戸た
ばこや両家其外大めげの由 川本も[恵比須堂|えべすどう]より下モは残
らずめげ候由
一大貫村 西田屋下モ 大つゑぬけにて江川一応せき留り
向ふ田津の地押上げ候 其地の上に人ども難無く押上げ候
由 人々申し候
大きなる岩川中へ度々押出し 向う田津まで迫り引続き候
由
十七日 夜四ツ時中頃一ツ 其後九ツと存じ候頃大いなる
分二ツ引続きゆり 是にはたまげ申し候 其のち中頃二ツ
ゆり申し候 最早止み候と存じ候所 存外の事に候 少し
雨催ふし候所又天気に相成り申し候
十八日 朝少しゆり申し候 同夜室原蔵焼ける
同日夕方 作木小平参る 同人咄し左に
先日郷津に参り六日 肥後屋方逗留致し相客もこれあり
少々買ひありし酒を呑む積りにて へかなべをかけ 酒の
かんを致し候所へどかと地震の騒ぎ 皆々外へ飛出し見れ
ば 家が崩れ 瓦が落ち其音の激しき事 言語道断の事に
候 家がめげ土蔵が裂け山がぬけ大松が倒れ 迚も逃げ候
所もこれ無く 誠に誠に恐しき事に候
志谷の[頭大|かしら]つゑぬけ 家十軒ばかりもこれある所 只三軒
程残り候由
下川戸畑中へ水湧き出で 一面に堤の如く相成る
川戸町悉くぬけ 沖の方は火を出し 大造焼失致し候 人
死にも三十人ばかりこれあり候趣き 其節迄しかとは訳り
申さず候
川戸の上ミ地名は訳らず 家十五軒位これある所 残らず
めげ候由 人死には相訳らず ○[肥加佐|ひかさ]寺(日笠寺)の道谷大ぬけ致
し 谷川をふさぎ堤の如く相成る
苧石と申す所 後山半分 横凡そ五十間ばかりぬけ 其所
二反歩位堤に相成候と申し候
[跡市|あといち]へ越す所に 一の渡の所迄残らずぬけ 又向ふ谷大ぬ
け 目もたい申さざる事
市山正蓮寺下モの寺こんつにめけてあり
[鋳物師|いもじ]や同断 市山へ行く道 山大ぬけ 同所酒屋めげ
酒大造捨る
千金山大抜け 向ふの川原へ押し詰め 一応大川せき留め
候由 左の方へ向き候所
川登の上ミ下モ家めげる
住郷光佐寺の下番所の上 大抜け 江川半分も押出し 誠
に大石を出す
いぬ石と申す所上ミ下モ大石飛込みこれあり 大貫村どう
の元 山大ぬけ さかいやと申す家の忰外一人 江川添ひ
竹藪のへり畑にて 仕事致し居り候所 右抜けにて江川を
向ふの田津寺の上みへ押渡し 江川をせきとめ その土の
上を さかいやの子は直かに通り 大貫へ戻り候由 嶋ケ
瀬迄水たゝえ候と申す事 誠に不思議の事に候
甘南備寺山横手下タ大抜け 其下にて一人死す
田津大ぬけ 山半分位へる
江津福田屋光右衛門女房 十六歳になる忰を連れ 浜田に
親類これあり 其方へ参り 先方家内ども十人ばかり寄合
ひ酒もり致し候所 家めげ皆々即死 両人連れ帰り候を見
受け候
住郷肥加佐寺の脇山ぬけ 江川をせきとめ候と申し候
川戸浜田屋娘 よめ入り候儀につき 益田辺へ参り帰り候
節浜田にて下女と二人 家の下タになり死す両人連れ
帰り候を見受け候由
右数々小平直に見候との咄し
十九日 雨天 今手屋治平参り 八ツ頃咄し居候所 地震
二ツゆり 又六ツ時先きのよりはだい分大いなる二ツ引続
きゆり 夜九ツ時分又ゆり申す 尤少々宛知る人 知らぬ
人のぐらいは折々ゆり候様子
廿日 曇天 九ツ時大いなる地震ゆり 又八ツ下刻一ツ
尤少し長くゆる 又七ツ時にゆる 是はちさき 六ツ時近
頃の大きなる地震ゆり それより夜の内八ツゆり さて
〳〵困まり入り候事に候
廿一日 天気 四ツ時より七ツ時迄三ツゆる 夜につき五
ツ時より七ツ時迄に六ツゆる 尤少々の分はしかと訳らず
候
廿二日 浜原田屋・蔵吉屋・乙久屋 同道にて見舞に参ら
れ候所 八ツ時咄し中大なる地震ゆり 又少し小の分ゆり
驚き入り 右人々急ぎ引取り申され候
米山と申す所 家十二・三軒これあり候所 一軒もこれな
く皆押し潰し候 尤も人はその割にこれ無く二十人ばかり
死去致し候
荻と申す所 家数四十軒位これあり候所 只二軒残り候由
人の痛みは相訳らず
同夜 少々は震り候えども 先づおだやかな分
廿三日 天気よし 大谷の様子承はり度につき 中光へ参
り七ツ時帰り候所 地震の方は格別はこれ無く候 段々風
聞も小原より惣代二人杵築へ伺ひに参り候所 最早格別の
事これ無く候間安心致し候様 仰せられ候につき 小原辺
皆々家へ戻り候由承はる 同夜何事もこれ無し 尤も五ツ
下刻より雨風に相成り 前の木屋も晴難き趣に申候 真光
寺より人参り候所布野より櫃田辺は何事もこれ無き由
廿四日 朝赤名屋丈四郎参る 此間鳥井へ参り候所 大め
げにて潰れ家六十軒 半潰れ百四十軒と申す由申し候 地
震も少々はゆり候えども 格別知り候程の分は入れ申さず
候 夜に入り同断 大風吹きそぎなどは吹き散らし候程に
これあり候
廿五日 天気は能く候所 風は吹きし申候 五ツ時 中頃
の分ゆり 其後昼迄に三ツゆり 四郎蔵咄しに 湯抱村に
て立替申さずては役に立ち申さざる家廿軒もこれある由
上田屋家は格別これなく候えども 古き土蔵はごんつにめ
げ候と申し候 風追々やをみ候えども止み申さず 夜に入
り雨に相成り 地震も格別大きにはこれ無く候えども度々
ゆり申候 尤も夜分雪も降り山々は白く相成り候
廿六日 雨天 六ツ上刻 中頃の分ゆり 又夜に入りて五
ツ時ゆり 又同刻にゆり 又下刻に大いなる分ゆり
廿七日 朝六ツ時ゆり 又小の分ゆり 夜に入り五ツ上刻
ゆり 又九ツ時上刻下刻大いなる分 少々宛うごき候分は
数を知らず 夜明けの頃又ゆり申候
廿八日 朝雨天 四ツ下刻大地震一ツ 八ツ時迄に三ツゆ
り夜に入り小さき分は度々ゆり
廿九日 天気 八ツ時地震少しゆる 夜に入り四ツ時頃余
程ゆり申候
卅日 雨天 八ツ時大雨 夜に五ツ時又大きなる分ゆり
又続きゆり又ゆり 八ツ頃又ちさき
三月朔日 天気能し
浜田町牛市 佐和屋と申す家につき 女中客を致し 女十
一人男一人 是は江津福田屋光右衛門の妻同人忰のと申す
事につき 親類につき参り候趣 二階座敷に酒宴始まり候
所へ大地震 家は直にめげ 内にて助けて〳〵と呼び 外
とよりかけつけ屋根打ちめぎ申さずては出されず 心配致
し候内 火燃え上り 致し方無く 泣く〳〵暇乞をして逃
げ 直に十二人焼死に候様子 心外千万 聞きても涙の流
るゝ事に候
同所八百屋下女 戸を仕舞ひに奥の座敷へ参り候所 大地
震敷居くづれ何角 やれ助けて〳〵と呼び 亭主は店の戸
棚に金札千五百両入れこれあり 出しかけ候所 下女の叫
びを聞き 馳けこみ引出し候その間に火移り 金札も何も
一つも出し得致さざる由承はる
又右家に女房 家の木に敷かれ 呼び候につき夫かけつけ
出し候と心配致し候えども 何様大木にて如何にとも出来
ず心配致し候うち 火は燃えつき 最早何とも致し方なく
女もあきらめ迚もかなわずと申し さしたるかんざし・こ
うがいを引きぬきこれを形見にと 夫に投げつけ 今生の
別かれを致し候と申す事 誠に〳〵歎げかはしき訳と 聞
く袖をしぼり申し候
朔日 九ツ時大の分震り 暮六ツ下刻大の分 引続き中頃
分ゆり 又九ツ時少しゆる 夜に入りて八ツ時分大の分一
つ少し間た置き又ゆり申し候
二日 天気 日の内震り申さず悦び居り候所 又夜八ツ時
大の分ゆり 明け六ツ時又前よりも少し大きな分ゆり 尤
も少し宛の分は二ツ三ツもゆる様申す 明道より孝吉参る
三日 曇天 八ツ時二ツ震り 夜に入りて六ツの下刻大な
る分一ツゆる 御見分御昼 夜に入り九ツ時分に大なる分
一つゆり 又八ツ時分に一ツ入る 御月様○(丸─満月)
に相成り出られ候風聞につき 見合ひ候所雲り居り一向お
がまれ申さず
四日 曇天 少々雨の気もこれあり 五ツ時地震ゆり申し
候 又下刻より雨に相成る
五日 朝六ツ下刻 大の分ゆり 尤も天気に相成る 拙者
大谷へ舟にて浜原へ下り 同所にて少しゆるく(ゆれ)そ
れより大谷へ行く 人足正平 今夕海辺より御越しなく
拙者少し休足(息)致し候後(海辺より)参られ候 夜に
入り三ツゆる
六日 大谷屋敷にて返書を読み貰ひ候積りの所 雨天殊に
大風にて迚も六ケ敷につき 町寺にて相勤申し候 八ツ時
頃寺に居り候時地震一ツゆる 罷り帰り小原へ呼ばれ一同
参り 地主らにあひ拙者福留一人と逗留致し候
七日 雨天 早や六ツ時頃大きな地震ゆり 小原にも家内
たまげ皆立上り候 是より小原三人も参られ申合せに相成
り大津屋律三郎殿本家へ帰り世話致され候積り おそま様
儀は杵築へ縁付き居り候事 若し不縁に相成り候はゞ元の
大津屋を丸譲り 金子は当分より年々金五十両宛譲り申す
べしと 律三郎殿申され それは御実意の事と一同申居り
候 其上は追つて仏事の節一同参会の上の儀 手書致置き
申すべしとの申合せに候
八日 雨は降り申さず候えども晴天には御座無く 海辺親
類中御引取朝 [吉元|よしもと]屋を呼びに遣はし 準之助着物の事
以つて心配候 又それより元の大津屋へ一同参り着物取納
め罷帰る
○約の事七ツ(時)迄罷居り候追々申合はせ何れ引取
候様致し候方然るべしと 申合はせ置き候えども 又
吉元や屋敷田両人より仏事の時迄それ〴〵談じ申合はせ致し置
くべしとの事につき 任せ置き帰り候
九日 準之助着物類受取り昼より罷帰り候 地震も少々は
うごき候えども 格別はこれ無く候
十日 晴天 地震は格別知れ候程の事はこれ無く候
十一日 晴天 薬屋の咄し 大貫村又々大ぬけにて家二軒
押出し候所 地ともに出で家はそのまま立ち居り候由申し
候
十二日 晴天 [曲|まが]り鍛冶屋 よしの殿事にて参る 夜の四
ツ時頃大なる地震ゆり 又引続き二ツ三ツゆり候由 尤も
其後雨に相成る
十三日 曇天 又夜の八ツ時頃大いなる地震ゆり 其後小
さきは数々ゆり候えども数は相訳らず
○池田村潰家四十七軒 半潰七十五軒 田方の損事百三十
石前余と申す届ケの由 人死十五人 牛馬三十匹 浄善寺
庫裏は丸めげ 御堂は多分にねじれ [突張|つうはり]数々これあり
押起こし持て申さずと申すことには候えども 座敷悉く割
れ目入り 棹を指込み候えども 六七尺も底には沼の様に
て安心相成らず 屋敷替えの相談これあり
○大田寿恩寺本堂庫裏とも こんつにめげ申し候
○町内大小作事これ無くては相成らざる事 残らずと申す
事
○川合村同断 和田建て物残らずめげ 岩谷も余程の事と
申し候
○惣森家二十軒のうち十七軒めげ 残り三軒も起てあるば
かり 余程作事致さずては住居相成らずと
十四日 曇天 九ツ時地震大なるがゆり 夜の八ツ時近頃
の大きなゆり それより小の分一つゆり 尤も夜明けに大
雨
十五日 少々雨降り 夜明けに三ツゆり 又九ツ時に一ツ
ゆるゝ 六ツ時に大なるがゆり 五ツ下刻に少しゆる
少々宛の分は数を知らず
○大森柳屋分山凡そ二百間口もぬけ 同所浅平掛り所木の
み凡そ四百本余 皆何処にあるも相訳らざる様埋め候由
右柳屋持分夫婦岩と申伝え 其岩長さ七間横三間もこれあ
り双方より討合せ 其脇に小作一軒これあり 家も岩も其
儘押出し 家も痛みなく岩ともに田の中へ居り 其跡へ山
ぬけ一丈より一丈五尺も迫り候 松ノ木数十本土の底に相
成り候由 長門屋卯作持分御納め方(と)申す程の場所皆
ぬけ山に相成り候由
大森□□甚太郎向ひ山崩れにて 井手に大造注ぎ込み 田
方植付相成間敷と申す事に候
前々これありし通り 大田村籾二十苗植付け候外田残り申
さず候 大家八分がたの損じ 福田村五・六分の損じ 此
外大造の事にて目もとい(届き)申さず
浜田より知事様御見分に御廻村遊ばされ候所 駕籠は勿論
なか〳〵通行むつかしく 大いに御驚入り遊ばされ大森
へ何もよし〳〵にて御移り成され候と申す事に候
右大森浅平の咄し
十六日 朝五ツ時 中頃分ゆる 四ツ時 初めより此方の
大地震ゆり皆々たまげ申候 跡又一ツゆる 夜に入り五ツ
時上刻ゆる 又少々づつ二度ゆる
十七日 雨天 七ツ時地震中頃の分一ツゆる 祖式村善正
寺話しに 祖式村に潰家七十軒 田畑崩数量忘失か記入なし
新屋村百 志々村家数三十三軒これあり候所 三軒して掛
るには少し不足 二軒していばり候と 見分の節役人中申
され候由 大変の事に候 夜に五ツ上刻仏前に御礼致し候
時 中頃一ツゆる
十八日 天気に相成り 又夕方少々雨降り申候 温泉津備
前屋の内室 家がめげ出掛け 木に敷きつけられ助けて
〳〵と呼び候につき 同所□□馳けつけ心配致し候えども
迚も大きな木にてはづれ申さず かれこれ致し候所 出火
燃え上がり 叫びながら焼け死に 不便千万の事に候由承
る 格別知り候程の事はこれ無く候えども 朝より夜中も
度々少し宛の震りはこれある様皆々申し候
十九日 雨天 格別のふりもこれ無く候所 霧雨止み申さ
ず候
廿日 明六ツ時一つゆる 天気は曇天に候 尤も雨は降り
申さず 又八ツ時頃地震中頃の所ゆる
廿一日 朝は晴天に候所 八ツ時分より雨に相成り降り続
き申し候 夕飯時分地震又々ゆり申し候
廿二日 雨天 九ツ時に少しゆる 又夜に入りて一ツゆる
廿三日 晴天に相成り候
大西屋藤介この間酒場へ参り咄し候由 大家の内[飯|いい]谷と申
す所 家六軒あり皆相応の百姓にて [手元可成|てもとかなり]に暮し居り
候所 一軒も残らず 家も人も一人も 牛馬に至るまで残
りなく埋もり候 田畑皆山崩れにて[作場|さくば]少しもこれ無しと
申す事に候
右の内 湯里に親類これあり 様子承はり気遣ひ候て見舞
に罷出で候所 どこ辺りが親類の居り候家やら一向訳り申
さずと 是も相咄し候由承はり候
廿四日 曇天 雨も降り申さず候えども 御日を拝み候事
少しもこれ無し 只今朝 夜の頃地震少しゆり申し候
廿五日 晴天
桜谷(桜井)郷喜十殿参らる 住郷川戸上ミ犬石と申す所
にて小草(山)出候所つえぬけ危い目にてあふ 同所向え
ぬけに十人通り居候所五人死に候 [千金|ちかね]より松本屋まで凡
そ三十丁位の間山大ぬけ 迚も御上普請にても元の道には
相成らずと申す事に候
夜の内一ツ 酉時分一ツ両度ゆる
廿六日 雨はこれ無く候えども日を拝み候様にはこれ無く
候 九ツ時大いなる地震 皆々驚き候
廿七日 少し雨降り申し候 格別知れ候程の地震はこれ無
く候
廿八日 晴天
廿九日 天気
四月朔日 晴天 大谷より人参る 昨夕方お広殿死骸見出
し候につき 直ちに出かけ候所夜に入り古屋敷まで 同方
にて夜明かし参り候と申し 直ちに仙之助を名代に差出す
地震も中頃の分三ツゆり 格別知れ申さざる分は数々ゆり
申し候由
二日 晴天 地震二ツ程ゆり 八ツ時分の 仙之助大谷よ
り帰り野間にて余程大きにこれあり候と咄し候
三日 晴天 地震九ツ頃一ツゆり
四日 晴天 今手屋へ仏事に参る 地震の様子は相訳らず
候えども 少し宛の事これある様皆々申し候
五日 晴天 四ツ時程に中頃の所ゆり申し候 それより柳
屋へ参り候仏事
六日 六ツ時上刻頃より少し雨に相成 五ツ時誠に大変の
大なる震り 又少し間を置き少しちさき分一つゆり それ
より大雨大風にて荒(嵐)れ申候 八ツ時より雨止み そ
れより夕方又天気に相成り申し候
七日 天気に相成り 今手屋まで帰り候
八日 天気 当所へ帰る
九日 天気よし
十日 曇天 八ツ時より雨に相成り申し候
十一日 晴天 四ツ時に地震中の頃分ゆり 又九ツ時に
ゆり
十二日 天気よし 五ツ時少しゆり 暮六ツ時夕飯仕舞ひ
の頃 中頃の一ツゆり引続き近頃になき大いなるがゆり一
同驚く それより油断相成らず 戸仕舞ひ得致さず かは
り番休み申し候
十三日 天気よし 金九郎蔵本へ仏事に参り それよりは
樋田へ咄しに参る 地震も少しはゆり候と皆々申候
十四日 天気よし 蔵本に滞留
十五日 森原まで帰り候所 少々雨降る
十六日 天気 当家帰宅致し候
其後日記は致さず候えども 折々地震も止み申さずゆり申
し候 四月廿六日もゆり申し候 廿七日迄此の如し
廿八日 天気能し 五ツ時地震一ツ 夫より四ツ時迄に二
つゆり申し候
五月三日 朝六ツ時 大きなる地震一つゆり申し候 朝早
起き者の起き頃に候 大小一つに一ツ二ツはゆり候様子に
皆々咄し候えども 知る者もあり又知らざるものもあり
四日 昼時分に一つ 暮合に一つゆり申し候
五日の晩 九ツ時に一つゆり申し候
八日 晩五ツ下刻大地震一つゆり申し候 其後印し申さず
候 邑智郡の御役所 市山村へ一応御定めに相成り 二月
五日に同所御移りに相成り候由の所 六日に至り右の大地
震につき 御借り宅もめげ さて道中筋もむつかしく 依
つては御見合はせの上 市山村にては郡の片はしにて 不
便利(弁理)の訳も御座候につき 本県へ御伺ひの上川本
村へ御定めに相成り 四月廿六日同村へ御引移り成され
大属塩屋様は丸屋の新宅へ当分御家内とも御移り 外御方
は光永寺裏ラを御借りなされ 加戸長様は渡りや隠居を御
借りなされ 御用役所は光永寺本堂にて遊ばされ 何れ心
斎の後へ相建て候様子に承はり申し候 依つて郡内の者一
同御呼出し 村数百六ケ村とこれある由 然る所十日晩よ
り雨に相成り 十一日九ツ時よりは殊の外大降りに相成り
出水の事を気遣ひ居候 然る所夜に入りて六ツ下刻頃より
仙岩寺山より 段々とぬけ[木口|こぐち]よりぬけ出し 崩れ落ち込
み候石のなみにて 川本の地に付け置き候舟二間三間ゆり
上げ候につき 恐しく迚も居られ申さず 番所の下モの方
へ舟を下げ四・五はいも居り 水は追々増し 誠に舟子も
心配致し候 さて塩屋様御宅の後つゑ(潰)大いに騒動致
し候えども 家の痛みはこれ無く安心致し候 十二日双方
の様子承はり候所 川本より下モは格別承はらず候えども
乙原村迄の所も迚も川筋の道通行相成らずと申す事に候
十三日 三浦様へ呼ばれ御取持にあづかり 其時承はり候
えば 温泉津にて山崩れ家をめぎ親子三人早死致し候 其
外村にて四人死に 又家も山ぬけにて押し潰ぶし 家内六
人死に候と承はり候 さぞさぞ外方にて大事出来候やと一
同気遣ひ咄し致し候事に候 大森長門屋米作儀 加戸長様
につき手伝ひ致し候につき 双方地震にて痛み候事 御帳
面のひかへ多く知らせくれ候
邑智郡
田畑百八十四町三段四畝歩 ○死人八拾人
潰家四百八十五軒 怪♠人七十五人
半潰家八百六十八軒
焼失家二十軒(地震後 山崩れにて潰家十二軒)
死牛二十一匹 怪♠牛八匹
水際の損七百五十一ケ所
溝・土手損千八百五十二ケ所
道橋損千三百七十三ケ所
安濃郡東方大田鳥井辺なり 三十ケ村
田畑荒所九十町 ○潰家四百八十軒
半潰千百四十二軒 ○焼失三軒
死人三十二人 ○怪♠人四十二人
死牛二十六匹 ○怪♠牛十六匹
堤防八十四ケ所 ○道百二十五ケ所
橋二十ケ所 ○山崩れ百四十五ケ所
邇摩郡大森より波積辺迄の内 四十七ケ村
田畑損所五百十三町八反歩
潰家七百八十九軒 ○半潰千八百五十五軒
焼失損九軒 ○土蔵五軒
死人百三十七人 ○怪♠人百二十六人
死牛四十八匹 ○怪♠牛四十五匹
堤防四百六十五ケ所 ○道八百三十ケ所
山崩れ千三百四十三ケ所
橋百九十二ケ所
那賀郡 郷田村より後地辺 十四ケ村
田畑損地六百九拾四町九反歩
潰家二千九百三十三軒
半潰四千四百九十二軒
焼失百七十六軒 郷蔵二十七棟
死人二百七十二人 怪♠人五百三十人
死牛六疋・馬五疋 怪♠牛六疋・馬五疋
堤潰損四千五百二十六ケ所
道路橋梁三千百七十一ケ所
山崩れ二千二百九十九ケ所
美濃郡
田畑荒所七町三反五畝
潰家七十七軒 半潰百八十五軒
怪♠人二人
美濃道路橋梁堤防田畑山崖崩外千十五ケ所
鹿足郡損所届ケ出申さざる趣
五月十五日下長門屋米作参りかくの如く写し置き候
右の通り大造の大損事に御座候 扨地震も密(ママ)にして止み申
さず 二月六日より百ケ日 五月十七日朝夜明け 近頃に
これ無き大の分一つゆり 又九ツ時入る 尤も少々の分は
外にもゆり候様子に皆々申候 もはや百ケ日にて地震は納
り候事と皆人申す事に候
右寄せ
田畑潰れ千四百九十町三反九畝歩
潰家四千七百六十四軒
半潰家七千五百三軒
焼失家二百三十七軒
死人五百二十一人
怪♠人七百七十七人
五月廿四日 七ツ時地震ちとたまげ候位の分ゆり申候 其
後矢(弥)張少々のうごきは日によ(寄)り三ツ四ツもこれあり候様申
し候えども 皆人知る程にもこれ無く印し申さず候
五月卅日 池田大津屋実之助殿参らる 人足は助蔵 元来
昨廿九日参る積りに候所 小原迄殊の外大雨にて水追々増
し迚も早見川又川戸川大水にて渡り相成らずと申し候
[拠|よんどころ]無く土屋に泊り 今朝罷り越し候所 明日の会儀(ママ) 無き
訳もこれあり候間 今日の所引返えしと申しては相済まざ
る事に候えども 何卒返えしくれ候様相頼まれ 助蔵より
も又々訳合承はり 以つて実に少々の取持致し留め申さず
候 其節咄に池田辺は毎日震り候との事に候 同日初年馬
を二匹連れ参り泊る
六月四日 三吉屋に家内中呼びたしと申候えども差支え
[何角|なにか]につけ金九郎・源吉・安蔵・庄太郎四人参り 金九郎
泊る 夜時大地震一ツゆり申し候
双方皆々咄し 毎日毎夜大小ゆり申さざる事はこれ無く候
に御座候
○五日寿三郎咄し 鍛冶屋原文四郎江津より帰り 今日中
の原にて温泉津の者参会致候 此節天廷の御沙汰にて 女
にては是迄行かれぬ先き[どこ|何処]にても 参り候事故 高野山
へ参詣致し 泊り連れの者こうこう致候所 如何なるばち
かめげ申さず[箯輿|あんだ]に乗り帰り 江津の者段々見候と咄し
候由申し候
七月廿六日 晩酉ノ下刻頃地震 皆々たまげ 内に居り候
者はこれ無く 門に立ち居り候所 又震り出しそれより納
まり候につき 内へ帰り候所 格別大きにはこれ無く候え
ども夜の内九ツ程ゆり申し候 尤も少々宛の分は数を知
らず 前書六月四日よりは印し申さず候えども 大小のゆ
り候事二日に一ツか三日に一ツか又は毎日毎夜の事もこれ
あり候えば 印し申さず候えども 此度のは格別につき
皆々店口に出で休み候事に御座候
八月八日晩より九日四ツ時迄度々震り だいぶん大きにも
候えども 近頃なれこ(慣れ)につき驚くものもこれ無く
候
同十八日 晩四ツ時大き地震是は始めて 中程大き長くゆ
り引続き三ツ四ツゆり申し候
酉(翌明治六年こと)
二月七日の夜九ツ時分 大きな地震につき 皆々目をさ
まし申し候 又八日五ツ下刻に一ツゆり申し候 近頃の事
に御座候
見舞物覚
十日
一菓子料 下酒屋
十一日
一赤飯一鉢 後藤屋
一つけな 同人
〆
一赤飯一鉢 藤の屋
一つけな
〆
九日
一邑餅 寿太郎
〃
一あん餅 中の屋
ニタ郷
一にしめ 新屋
一な大根 松田屋
一〃 長田屋
一大こん 反竹
一かぶ 坂根
一すし一鉢 三吉屋
一つけ物数々
〆
十二日
新所
一餅一鉢 かじや
〃
さこ
一菓子料 原田屋
〃
一だいこ さかね
つね持参
十四日
一もち一鉢 森原
〃
一御仏前へ 蔵本
十五日
肥後屋
一餅米二升 奥野督左衛門
一つけな
外香料
〆
十四日
一餅米二升 丸山より一宮
一みそ 同
〆
十五日
一赤飯一鉢 正専寺
十六日
三木屋
一かぶ 隠居
〃
一とうふ三丁 川向
〃
一〃三丁 隠居
〃
川戸
一もち 鹿十
十八日
一ぬり子餅コ正行
十九日
林
一もち 正十郎
〃
新屋敷
一〃 惣次郎
〃
川戸
一〃 古屋敷
一こんにやく一丁同
廿一日
三反谷
一ぬりこもち 卯助
廿二日
もり田屋
一餅一鉢 常三郎
一をこわ一鉢 新宅
一だんご 清水
上ミ
一とうふ五丁 井後
一〃三丁 友太郎
三木屋
一おこわ一鉢惣太郎
一しいたけ 千蔵
廿五日
村の郷
一そば一重 四郎衛
廿六日
長田屋
一おはぎ一鉢 まちよ
廿七日
ニタ郷一赤飯一鉢 かじや
九日
一銭五貫文 勘一郎遣候節
内五百文小遣
残四貫五百文 受取
十二日残方友太郎
今山より参り分共帰
十三日
一〃三貫文 庄一郎
内三百文小遣
残二貫七百文 受取
十四日
一〃壱貫文 太助
内四百文残銭三人へ渡候
五百文受取
残百文小遣
十七日福太郎渡
一〃四百文 右多助へ渡置
内二百文受取
残二百文小遣
十九日
助吉福太郎両人帰候
十八日中光茂十郎 拙者代兼一郎参りくれ候につき 外
親類中も立会の由につき 死骸は迚も出で申さざるにつ
き 一応相止め 仮葬式 今十九日に致され候て [行成|ゆきなり]
の所相談もこれあり 明日帰り度きの事 それに力蔵は
留め置き候由
廿一日 熊見迄帰り候様余り気遣ひ存 廿三日朝 中光へ
左右聞きに遣はす所に依(寄)り 大谷へ遣す積りに候所[一坂|つんざか]に
て力蔵行き合ひそれより帰り 茂十郎も村用にて二・三日
参る事むつかしき由申越し候につき 相場の事も相済まざ
るにつき
廿三日 片地六左衛門殿同道にて中光へ参り 此度の相続
にて死骸を尋ね候事は一応相済み 家の内三人・下男・下
女・日傭人とも都て七人が葬ひ致し候 廿九日に其儀式相
済み それより小原にも立会ひ申さず候所 段々入割も細
田氏と小原と外の家にて内談ややしばらく致され その上
中原代・恒松代両人を呼び 細田氏代全十を以つて 大谷
跡は如何に相成り候て然るべきや尋ね承りたしとの事につ
き両人とも案外の事につき其儀は何とも私ども得申上
げられず候 愚存に差向き諸書類又は死骸など掘り方相談
肝要と存じ候との返事致し候由 それより杵築婿殿呼ばれ
候所 何の談事に候やそれより物言はずこしらへ 無二無
三引き取られ候由 何れ此後[差向|さしむき]とも[直参|じきまいり]にこれ無くては
むつかしく候間 三月四日再会の積り申合はせ双方引き別
かれに相成り候由申候
○準蔵殿内室は鳥井酒屋より入縁
○野井恒松王人は準蔵殿いとこ豆腐屋との事
○福光 同断恒松主人父の家
大津屋律三郎殿妻は鳥井細田氏より来る
川崎屋の事
〆 大谷親類此の如し
大谷行人夫
二月十日より十二日迄
浜原
一 三人役 源助
十日より十一日迄
一 二人役 新助
十二日昼より十三日迄
一 一人半 大四郎
〃
一 一人半 清十
十四日より十六日迄
一 二人 利助
一 二人 宇三
十六日より十八日迄
一 三人 源作
〃
一 三人 品助
十八日より十九日九ツ迄
一 一人半 喜助
〃
一 一人半 大四郎
〆 二十二人役
但一人役
二升宛
此賃米 四斗四升
貝屋より蔵渡
外に 啓三郎
此賃米 庄助相渡候
〆
川戸村より
二月十日より十三日迄
一 夫四人 平次郎
十日より十一日迄
一 〃二人 品平
〃
一 〃二人 亀吉
十一日より十五日迄
一 〃五人 卯四郎
十一日より十二日迄 安五郎事
一 〃二人 友市
十三日
一 〃一人 卯四郎へ替りを頼み返し 亀市
十三日より十五日迄
一 〃三人 安一
〆十九人
此賃米 三斗八升
内七升 出立を勘定場にて賄弁当遣し候につき此の如く引く
残三斗壱升
麻十より相渡し候様申遣置候
三月二日
三月五日 金九郎大谷へ参る 人足庄市・米吉両人連れ
[悔物|くやみ]白米一斗 香料六百文 蠟燭料二貫文持参致候 外親
類御立会申合はせ 大津屋律三郎殿本家へ帰り相続致され
候積り議定 おそま様は杵築へ縁づかれ参られ候儀につき
御帰りに候はば大津屋の家督その儘譲り 左(然)無き時
は年々五十両宛見継ぎ致すべしとの事に候 八日に一同ひ
らきに相成り 拙者事は九日昼より出かけ帰り候
十三日 庄一郎を大谷へ遣はし 十五日に帰る
一縞綿入れ一ツ
外 金一両 菓子料
〆 吉元屋善一郎殿へかたみわけ
一縞綿入れ一ツ
外 金一両 菓子料
〆 屋敷田へかたみわけ
〆右庄一郎に持たせ申候 屋敷田にて酒を出し それより
吉元屋へ同道にて参り 又馳走に会ひ帰り申候由に候
十五日吉元屋より帰り 西山辺にて大地震に遭ひ候由に
候
十九日 仏事につき源造遣はし人足には力蔵遣はし候 廿
一日暮方に帰り候 此度立会ひ[何角|なにかと]儀定書など相成し候約
束に候所 海辺方皆婦人ばかり参られ 迚も相談は仏事中
にて出来申さず 追つて再会と申す事の由に候 先日堅く
申合はせ引別かれ 右様の訳にては大いに不詰りの事に候
五月廿日
一きし縞 袷一ツ
一越後かたびら一ツ 中迫へ遣はし候
一縞 綿入 一枚 吉田屋啓三郎
一〃 一枚 古屋敷和作
一〃 一枚 当所友一郎
一縞 ひとへもの 布施きくの
一いと〆ひとへもの 小松原娘
一襦袢 一枚 一丁田兼蔵
〆 形見遣はし候
大谷準之助死去につき悔
池田小原 松尾友次郎
野井豆腐屋 恒松義朗
福 光福間和十郎
小酒屋 石川宗七郎
川崎屋 細田吉兵衛
屋敷田
馬三匹 逸平
〃一匹 初平
〃一匹 兼
助蔵此度申合せ作頭に申付け候
二月十四日
一御菓子料 蔵本
一同壱封 下酒屋
赤名
一香料 肥後屋
十六日
九日谷
一蠟燭料 常左衛門
一香代 同人
はま
一見舞 片岡次四郎
一蠟燭料 村居伝三郎
十七日
一〃 乙原屋喜六
〃
一そば 今山勘八
〃はま
一餅壱鉢 酒場
〃
一香料 安田敬太郎
〃
一菓子料 (同人)
一蠟燭料 中光
十八日
一同五丁 蔵岡
十九日
一香代 三谷屋
〃
井後
一〃 佳吉
〃
村
一〃 正十郎
〃
浜
一〃 吾左衛門
〃
一〃 森原
廿日
坂根
一餅 只四郎
廿一日
西上馬場
一香料 佐築重郎
〃
一菓子壱台 原田屋万作
一香料 二上亀助
〃
一まんじゆう 同人
〆
一菓子料 片地
廿一日柳屋帰りかけ廿三日付
高山
一蠟燭料 下寺
一蠟燭三丁 後原
三月一日
上の村
一香代 坂根直次郎
十六日
中島屋
一〃二百文 癸太郎
一蠟燭二丁
〆
明治五壬申年二月六日 大地震につき何角記し置き候
明治六年七月四日 西方大水の由にて 三隅辺りは田畑は
勿論人家多分流失致し候由 大森町平作其頃浜田へ参り
田町に滞留致居り候所 暮合時分より大雨にて四ツ時分に
は大水に相成り 一同心配の所 土手さへ切れ申さず候え
ば 気遣いなしと申居り候所 八ツ時土手切れ 町内大水
宿屋座は壱寸ばかり切れ候趣 真の闇にて一向見渡しつき
申さず 逃所はこれ無く 恐ろしき事の由 御家中町は座
の上二尺位もこれあり候由 大造もの流れ損も致し候事と
承り候
八月十一日