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項目 内容
ID J1300142
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔佐田町史〕○島根県
本文
[未校訂]明治五年(一八七二) 浜田地方大地震
 先の飢饉の記憶も生なましいとき、二月六日午後五時頃、
浜田地方を中心に大地震に見舞われた。
 古老の話によると、八幡原川南の旧道釜ケ谷の高みに薪
を背負って一休みしていたところ、異様な地鳴りと共に川
北部落の家屋、田畑も一様にぐらぐらとゆれ動き、家は傾
き、地崩れを起して無惨な状況を呈したとのこと、その後、
大地の揺れは十日余りも続き、人々は竹籔に藁小屋を建て
て寝起きし、不安な日夜を過し、近年の連続の凶作に加え
ての天災に正業も手につかず、食に飢え、その困窮ぶりは
甚だしかったという。
 この時の地震は浜田を中心とする石見部の被害が大きか
ったのであるが、島根県史資料編によると、死者五五〇名、
全壊家屋四、三〇〇戸を越しており、出雲地方では神門郡、
楯縫郡、出雲郡がこれに次いだとのことである。
 当町での被害は正確な資料がないのではっきりとわから
ないが、相当な被害があったことは次の文書によって相像
できる。
八幡原村
「西」猪一郎
先般大地震之節 難渋之者共江 夫々米金扶助致候条奇
特之事ニ候 仍而誉置候者也
壬申五月(明治五年)
嶋根県
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 266
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 佐田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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