[未校訂]明治五年(一八七二) 浜田地方大地震
先の飢饉の記憶も生なましいとき、二月六日午後五時頃、
浜田地方を中心に大地震に見舞われた。
古老の話によると、八幡原川南の旧道釜ケ谷の高みに薪
を背負って一休みしていたところ、異様な地鳴りと共に川
北部落の家屋、田畑も一様にぐらぐらとゆれ動き、家は傾
き、地崩れを起して無惨な状況を呈したとのこと、その後、
大地の揺れは十日余りも続き、人々は竹籔に藁小屋を建て
て寝起きし、不安な日夜を過し、近年の連続の凶作に加え
ての天災に正業も手につかず、食に飢え、その困窮ぶりは
甚だしかったという。
この時の地震は浜田を中心とする石見部の被害が大きか
ったのであるが、島根県史資料編によると、死者五五〇名、
全壊家屋四、三〇〇戸を越しており、出雲地方では神門郡、
楯縫郡、出雲郡がこれに次いだとのことである。
当町での被害は正確な資料がないのではっきりとわから
ないが、相当な被害があったことは次の文書によって相像
できる。
八幡原村
「西」猪一郎
先般大地震之節 難渋之者共江 夫々米金扶助致候条奇
特之事ニ候 仍而誉置候者也
壬申五月(明治五年)
嶋根県