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項目 内容
ID J1300136
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔浜田港史〕
本文
[未校訂]明治五申年ノ震災ハ実ニ激烈ニシテ濃尾ノ震災モ尚及ハサ
リシモノアラン市中家屋概ネ顚覆シ従テ延焼シ人畜ノ死傷
夥シク実ニ可憐ノ境遇ニ沈淪シタルモノナリ(大橋河原ニ
小屋ヲ作リ粥ヲ焚テ一般ニ分与ス 陛下此惨状ヲ聞召サレ
金壱千円ヲ賜フ)此震災カ如何ニ地勢上ニ変遷ヲ与ヘタル
カヲ聞クニ城北ノ(小浜松原浦ノ西尽)ハ従来ノ三分ノ二
ハ潮水来リ僅ニ一分ノ沙浜ヲ存シ又青川海岸ハ冬季波浪ノ
激スルトキハ洗ヒ去ラレシモノ今ハ反テ九尺余ノ高サトナ
リ且崖辺幾部(ママ)ノ浜地ヲ見ルニ至リタリト又大橋川ハ裳ヲ蹇
ケテ渉ルヲ得ヘシト雖トモ以前ハ水深クシテ能ク小艇ヲ浮
へ得シト皆之レ震災ニ起因ス即狭少ナル浜田ニ於テ北方ハ
地盤陥リ南部ハ峻起シ従テ川源モ涸ルゝニ至リシモノナラ
ン激烈ノ度ハ実ニ想像スルニ余リアリ而シテ此災以前ハ甘
鯛(里名クズナ又殿魚)ヲ漁スルコト多カリシモ今ハ僅ニ之レヲ見ル
ノミ里俗之レヲ殿様ノ出立ニ伴ヒテ去リシモノナリトナス
然レトモ亦全ク海底ノ変遷ニ起因セスンハアラス該地震ハ
蓋シ海中ノ地震ニシテ浜田ノ北海僅カノ沖合ニ於テ其中心
点ヲ有セシモノナラント云ヘリ家屋ハ近時漸々高宏ノモノ
ヲ搆造スルニ至レリ然レトモ維新ノ頃迄ハ屋上瓦ヲ用ヰス
猶且二層ノモノハ絶テナカリシモノゝ如シ災後ハ葺クニ瓦
ヲ以テシ稍体面ヲ改メシモ搆造惣テ卑低ナリ一ハ震災ニ懲
リテ特ニ低ク造築セシモノナラン(今時小地震ト雖トモ周
章戸外ニ飛出ツ其懲リタルモ亦甚シ)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 264
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 浜田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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