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項目 内容
ID J1300133
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔浜田〕
本文
[未校訂]㈡ 浜田地震
(前略)
○浜田地震の惨状
 本震一週間前頃より浜田の北西方数里の海底に遠雷のよ
うな鳴動があり、その地域は次第に広くなり、十四日午後
二時頃より微震が起り、三時半頃には数回連続して起る。
大震前八分には海水は漸次退潮しはじめ長浜では約一米に
及び浜田浦では海上三丁余沖合の鶴島まで海底全く露出
し、人々はみなこの島へ見物に出かけたという。当時瀬戸
ケ島北方海上で出漁中の漁夫たちはこの異変におどろき、
急ぎ帰航しようとしたが、海岸より沖に向う引潮のために、
三挺艪をもつてしてもなお、沖に流されたといつている。
そして暫くして海水は再び沖合より陸地に向つて増加しは
じめ、四時四十分頃より浜田西方にあたつてはげしい鳴動
を発すると共に、土地は急激に揺れはじめ、樹木は左右に
ゆれ、その枝は地上につき樹上にいた烏や雀などは、ため
に振い落された。家は軒を連ねたままうねりつつ地響きを
立てて倒れ、瓦がとぶ。土地は高低凹凸を生じ、各町中の
井戸は底より砂を噴き上げ、水は涸れて一滴もない。浜田
川は雲城七条の大堤の堤防の決壊によりその水が一時に流
水して濁水があふれ炊飯の水がないので町の人たちはこの
濁水を袷の着物でこして使わねばならなかつた。
 片庭、原井、新町、工町、蛭子町等の道路は割れ目を生
じ砂泥や水を噴き出し、田町ではその水は約二〇糎の深さ
に達した。亀裂の最も大きいものには幅一米、深さ二米余、
長さは二三〇米のものも生じ逃げまどう人々は割れ目に足
をはさまれて負傷するもの、或は大亀裂の中に落ちこんで
死ぬるもの等、その数は極めて多く、市街の家の八割は倒
壊し、倒れない家は傾き或は破損して一戸として完全なも
のはない。その上新町、牛市、真光町、浜田浦等よりは続々
と火災が起り、火焰は家をなめ黒煙は町を包み、逃げおく
れて倒れた家の下敷となつて死に或は手脚、胴体をはさま
れて呻くもの、見失つた家族を探し求める叫び声等その惨
状はさながらの生地獄のようで身の毛もよだつばかり、そ
の最も甚だしかつた牛市などの有様は目もあてられない惨
状であつた。
 死亡者の数は当時官吏の調査によると浜田、原井を通じ
て二百三十六人の多数に上り、負傷者の数は調査の出来な
い程多数に上つたのである。(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 262
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 浜田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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