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項目 内容
ID J1202826
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1857/10/12
和暦 安政四年八月二十五日
綱文 安政四年八月二十五日(一八五七・一〇・一二)〔宇和島〕
書名 〔愛媛県編年史〕
本文
[未校訂]八月二十五日 伊予国各地に大地震がある
(小松藩会所日記)
一安政四年八月廿五日、曇後晴、暖気、四時前地鳴頗大
震、九時前地鳴小震、夕七時前少々強震、其間時々微
震、夜同断、殆ド去寅歳地震差続、尤右ニ比スレハ短シ
(松山叢談一四 上)寛裕院殿勝成公
一八月二十五日辰下刻、松山大地震、右御届被差出、右
に付家中へ出米の内、知行百石ニ付五俵ヅゝの割合を
以、御下げ米有之、池内家記
(塩屋記録)
安政四年八月廿五日昼四ツ時、前之通大地震也、上野屋
治助子芳太郎、町御番所の塀にしかれて死す、小川屋重
太郎妻、外に大津屋丈助妻、上野屋治助娘、常夜灯笠石
にしかれ怪我致候、門塀古家などハ倒れ、夜分ハ往来留

(加藤家年譜 下 泰祉)
安政四年丁巳八月廿五日御在所大地震、御城内処々御破
損、御連枝様方一旦御休息御庭江御立退、土地所々割レ
御駕部屋脇江御小屋営御立除
(宇和郡上松葉村諸差紙類控)○松山市錦町柳原多美雄家文書
安政四巳年八月二十五日、当地大地震
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 304
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 松山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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