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項目 内容
ID J1201872
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/07
和暦 安政二年九月二十八日
綱文 安政二年九月二十八日(一八五五・一一・七)〔尾張・遠江〕羽前~広島間各地⇨十月一日
書名 〔高須伝右衛門長久記録〕○静岡県新居町▽
本文
[未校訂]廿八日晴天ニて此日薩州様本坂表御通行ニて此表御荷
物長持類斗り御渡海ニて手前も舞坂へ勤ニ出御船割方と
共ニ七ツ過才多方(?)へ立帰り候尤見付宿御泊り故也
右船勘定手間取暮六ツ時過ニ荒増ニ相成船賃銭も今夕請
取不申候内トウトウト鳴大地震ト相成ル処船勘定も其
まゝにて大騒動と相成取物もとりあへヅ光珠庵地中へ欠
出すも有御関所前へ欠出すも有□日暮故大変也尤去寅十
一月四日之地震より少シゆるやかにてみじかく有之也
夫故人家に潰無し損し多ク候得共怪我人も無シ夫より
又々去冬のことく新福寺本果寺光珠庵へ町内中より欠行
其夜は屛風障子ニて小屋の形チを拵へ野宿いたし候火廻
り去冬のことく厳重也引続テ地震のゆる事少シツゝも有
又鳴音斗りも有其夜四ツ時迄ニ廿七夜明迄ニは凡五六十
も震候右のことく故夜分ハねむる事も難成手前ハ大切成
書付諸帳面を持たせ光珠庵地中ニ女小供母忰迄遣し置手
前ハ火元第一故内方へ残り夜廻りいたし夜を明し候夫よ
り津波を案し川岸へ出度々見廻り候得共此度ハ汐平水の
ことくニて海上鎮而静也故一同案心いたし申候然而其よ
り毎日毎日少シの地震十廿追々薄らミ朝夕四ツ五ツとも
相成候
なれ共毎日の地震故手前方も鎌屋裏へ小屋をかけ思ひ思
ひニ地中又ハ人の裏へ小屋掛いたし候
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 161
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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