[未校訂](不動郷土誌)
寛政四年三月島原温泉岳大噴火ノ為メ地震ガアッタ、四
月山潮海嘯ガアッテ島原城下ノ人家ハ概ネ流失セシタ
メ、人民難ヲサヶテ嬉野ニ来タノデ、我ガ藩ハ大イニ之
レヲ救恤シタ。
(久間村郷土史)
此年(寛政四年)三月には島原温泉岳に大噴火があり、
此の地方まで屢々地震があった。更に翌四月には又々山
潮と海嘯の襲来があって、打続く災厄に邑民は就れも不
安の思ひにその日々を送ったものである。
(祐徳稲荷神社史)
此の三月朔日温泉岳が爆発して此所まで大に震動した。
即ち七日(三月カ)夜に至っては東南の大岳が崩れ、海上二里を隔
てゝ一島を生じた。之か例の眉山である。
潮汐(四月一日カ)の干満は日に七、八回にも及び、附近一帯は岩石に
圧せられ、更に海嘯に襲はれて哀れ死人三三万を出し、
肥後路にあっては特に甚しかった。
(御代々御略譜)
同(寛政)四年壬子四月朔日晩島原大変ニ付津浪ニ而難
船溺死其外破損所目安同月十五日請役所より被相渡ニ付
……(後略)