[未校訂]一松平主殿頭様江松田銀右衛門伺公御留守居江面談向方
御在所肥前嶋原当正月中より震動地震強御座候処当三
月朔日ゟ三日迄又々昼夜地震強候処段々鎮り其後当四
月朔日酉刻過至而強地震前山と申高山頂上ゟ根方迄一
時ニ割崩山ハ押出御城下海ゟ高波打上一ツニ相成御城
下町家悉并在町共暫時ニ押流し潰家大木等流掛死人怪
我人数不知御城下住居之もの過半即死之様子ニ候由山
崩れ等は海中江押出小山所々ニ致出来候而御城内は先
御別条無之候段為御知有之候付御心遣之儀思召仍而御
見廻被仰進候段々御口上申達候
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J1100047 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1792/05/21 |
和暦 | 寛政四年四月一日 |
綱文 | 寛政四年四月一日(一七九二・五・二一)〔島原・肥後〕 |
書名 | 〔万覚書(御用部屋)〕日向延岡藩 |
本文 |
[未校訂]一松平主殿頭様江松田銀右衛門伺公御留守居江面談向方
御在所肥前嶋原当正月中より震動地震強御座候処当三 月朔日ゟ三日迄又々昼夜地震強候処段々鎮り其後当四 月朔日酉刻過至而強地震前山と申高山頂上ゟ根方迄一 時ニ割崩山ハ押出御城下海ゟ高波打上一ツニ相成御城 下町家悉并在町共暫時ニ押流し潰家大木等流掛死人怪 我人数不知御城下住居之もの過半即死之様子ニ候由山 崩れ等は海中江押出小山所々ニ致出来候而御城内は先 御別条無之候段為御知有之候付御心遣之儀思召仍而御 見廻被仰進候段々御口上申達候 |
出典 | 新収日本地震史料 第4巻 別巻 |
ページ | 254 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 宮崎 |
市区町村 | 延岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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