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項目 内容
ID J1002529
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔万日記〕弘誓寺文書・滋賀大学経済学部付属史料館
本文
[未校訂]二日(七月) (前略)(左門勇助両人御供昨二日七ツ時御出立
京着七ツ半時成り)
志ばらくして大地震、侍従様左門せにおい出候、東馬場
迄出る、志ばらく居又帰り夫ゟ烏丸集会所御門前ニ醍醐
屋五兵衛家内大地ニ戸を敷キ居候所へ何茂様九ツ時打迄
其場ニ被成御出、それゟ詰所御帰り尚おり〳〵びり〳〵
となる、京洛中落(ママ)外夜通シ其日ゟ十日迄毎日少々地震(後
略)
一当村外村宇兵衛娘おはい京都ニ養生登リ居候所、地震
ニ付帰り度様す相見へ候ニ付、奥方様召連御帰り被成
候ハゝ、宇兵衛家内大キニ喜御礼として三四百目位こ
い壱本差上、外ニいろ〳〵挨拶として左門文三郎両人
江夏手ぬくい壱ツつゝ被送受納いたし候
廿一日(七月) 雨天
五條様江大地震ニ付伺之書状ニ金子百疋文言
一筆致啓上候残暑之節御座候得共、上様益御機嫌能被為
遊御座恐悦至極ニ奉存候、次ニ各々様御壮健ニ被成御勤
珍重ニ奉存候、然は先達而は大地震ニ而一同驚申候、田
舎も相応之荒ニ而困入申候、京都は尚条別(ママ)之由承候
殿様始御殿内御別条不為有之歟此段致承知度候、夫ニ付
宝金百疋為御伺被致進献候間、宜御披露可被下候 恐々
謹言
七月廿二日 寺村左近
政義花押
森将雷様
窪田乾祐様
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 559
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 五個荘【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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