[未校訂]深浦街道干潟となる
去る子の年の地震にて深浦街道干潟になりて、今の街道
はむかしの海中なりと云
隠鏡録には深浦間口の観音堂は、飛驒の内匠の造立、
観音の像は小金の唐作にして秘仏也、大戸瀬、小戸瀬と
云ふて仙台の松嶋につゞいての名所也、此処に地獄浜と
云ふ所あり、海端に窟あり、窟より清水湧き出ずる也、
此海辺に蠣の如くなる小貝吹寄て多し、亦去る寛政子の
とし十二月廿八日大地震ありて、海面百間亦五十間と汐
引き今は其出汐なき故干潟となりて、其景色筆にも尽さ
れずと、西川如見の怪異弁断巻ノ七に日本康安元年七月
廿四日大地震阿波ノ鳴門、俄に潮引立て陸と成る、須臾
に又満来て洪波に没死する処の海人、漁者数千人と云へ
り、是の大地震は地中の奮発の気大地を動揺せしむるも
のなれば、大海の潮水も動乱迅速にして、須臾に満来り
須臾に引去りしもの也、皆地気の所為なりと、しかれど
も西浜の潮未満たず、決(ママ)つと外国に俄に海となりし地あ
るべしと思へり。