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項目 内容
ID J1000021
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1789/05/11
和暦 寛政元年四月十七日
綱文 寛政元年四月十七日(一七八九・五・一一)〔阿波・土佐〕鳥取・岡山・池田・大阪・山口
書名 〔三岐田町史〕○徳島県
本文
[未校訂]寛政の地震の様子は石見六郎助義村の正方私記(田井の
石見楠太郎氏蔵)に次の如く見えて居る
寛政元己酉歳四月十六日夜九ツ時(今の午後十二時)
大地震入(入はゆりの方言)当村之井利両方こける御
国中同断疼多(く)あり田地悉くわれる石垣くづれ滝
悉くくづれ山われる此地震八拾余の老人覚せ(ママ)附り宝永
四亥年十月四日四ツ時此辺大汐入其節ハ地震入候様ニ
老人ゟ承り知る地震後四月十八日迄木岐由岐当村原田
辺ハ一人も家に居らず山林へにげ行居申候然レ共汐入
不申天気ニ成リ一向雨降リ不申旱でり五月十一日に少
し雨降り云々
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 3
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 三岐田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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