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項目 内容
ID J0900635
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔上ノ加江町史〕○高知県▽
本文
[未校訂]上ノ加江で、禅源寺や弘野神社も流失の災を蒙ったのはこ
の時である。
 弘野神社(郷社) 上ノ加江、網代山崎鎮座
勧請年月、縁起沿革などは、宝永四年十月の大地震の津浪
によって旧記流失のため、知ることが出来ない。
 なお天正元年酉年霜月十五日大檀那源ノ朝臣佐竹弁寿丸
大願主福寿軒沙門という棟札があったが、宝永の津浪に流
失したということが、神社牒に記載されており、其の後、
正徳元年卯年九月九日(宝永の津浪より四年の後)再興の
棟札がある。
 熊野神社(無格社) 上ノ加江、山崎、中山鎮座
上ノ加江で一番古い神社であるといわれている。社地が小
高い所にあるため、宝永、安政の津浪の災に逢うこともな
く、神体、宝物など今に存しているのはまことに幸であ
る。
 須賀神社(無格社) 上ノ加江、浦九番小路鎮座
天正地検帳に、牛頭天王と記されているのがこの須賀神社
である。二度の津浪に流失、くわしい事はわからないが、
四百年以上の古い歴史をもつものである。
月光山禅源寺
(前略)其の後(年代不明)元貞と申す住持の時に、山崎
中町に移った。元貞から盛吟らを経て不白という住職の時
に、たまたま宝永の大地震があり、津浪のため本尊までも
流失、その他宝物なども失ってしまった。このため廃寺の
やむない状態となっていたが、其の後(寛政の頃ともいわ
れる)石庵礼菊大和尚が再興した。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 539
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 上ノ加江【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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