[未校訂]上ノ加江で、禅源寺や弘野神社も流失の災を蒙ったのはこ
の時である。
弘野神社(郷社) 上ノ加江、網代山崎鎮座
勧請年月、縁起沿革などは、宝永四年十月の大地震の津浪
によって旧記流失のため、知ることが出来ない。
なお天正元年酉年霜月十五日大檀那源ノ朝臣佐竹弁寿丸
大願主福寿軒沙門という棟札があったが、宝永の津浪に流
失したということが、神社牒に記載されており、其の後、
正徳元年卯年九月九日(宝永の津浪より四年の後)再興の
棟札がある。
熊野神社(無格社) 上ノ加江、山崎、中山鎮座
上ノ加江で一番古い神社であるといわれている。社地が小
高い所にあるため、宝永、安政の津浪の災に逢うこともな
く、神体、宝物など今に存しているのはまことに幸であ
る。
須賀神社(無格社) 上ノ加江、浦九番小路鎮座
天正地検帳に、牛頭天王と記されているのがこの須賀神社
である。二度の津浪に流失、くわしい事はわからないが、
四百年以上の古い歴史をもつものである。
月光山禅源寺
(前略)其の後(年代不明)元貞と申す住持の時に、山崎
中町に移った。元貞から盛吟らを経て不白という住職の時
に、たまたま宝永の大地震があり、津浪のため本尊までも
流失、その他宝物なども失ってしまった。このため廃寺の
やむない状態となっていたが、其の後(寛政の頃ともいわ
れる)石庵礼菊大和尚が再興した。