[未校訂]僧智隆
智隆の活躍時代は須崎発生寺の和尚のころである。
安政三年には須崎の儒医古谷竹原に、宝永四年十月四日
に起こった地震津浪について、その避難の心得を書かし、
須崎池の内池のかたわらにある宝永津浪溺死之墓に左右背
の三面に草体平仮名交じりで刻するように命じた。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0900633 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 | 〔窪川町史〕○高知県▽ |
本文 |
[未校訂]僧智隆
智隆の活躍時代は須崎発生寺の和尚のころである。 安政三年には須崎の儒医古谷竹原に、宝永四年十月四日 に起こった地震津浪について、その避難の心得を書かし、 須崎池の内池のかたわらにある宝永津浪溺死之墓に左右背 の三面に草体平仮名交じりで刻するように命じた。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ | 539 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 高知 |
市区町村 | 窪川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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