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項目 内容
ID J0900612
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔南海大震災誌〕○高知県▽
本文
[未校訂] 高岡郡須崎町北横町の堀川に、メガネ橋という石橋があ
る。その橋の袂に、お伊勢の松と呼ぶ大松が、最近まであ
った。幹の廻り二丈余樹齢四百余年という巨木であった
が、何故にその松をお伊勢の松と名付けたか茲に面白い伝
説がある。かの宝永の大地震の節、堀川の橋は全部落ちて
流れ、川より南に住む人々の内、逃げ遅れたものは西へ西
へと駈けこの松の辺りまで殺到して来た。津浪は容赦なく
押し寄せて来る人の命も危く見えた。咄嗟の場合、この松
へ登れる丈の者は登った。然し女子供は意の如くならな
い。只救いを求めて泣き叫ぶのであった。この時現われた
のがその当時村でも有名な大力のお伊勢と呼ぶ(宝永の大
地震史には此のあたりに住居せし渋谷金王と云える力士と
ある。)大兵怪力の男である。(或は女ともいふ)見る見る
内に片っぱしから向う岸へほうり投げて数多の人々を助け
最後には自分は其の松に攀ぢ登って命を拾ったというの
で、それより此の松をお伊勢の松と名付け、その伝説と共
に有名となったとのことである。このような大津浪でも高
い山の頂へまで登るにも及ばないこの松でも助かってい
る。今回の大地震でも街の高い処の住家には津浪は押し寄
せていないのである。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 518
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 高知【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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