[未校訂]観音寺
僧空海当地に参られ観音山に登り東寺岬及び蹉跎岬を眺望
せられ且つ小室の浜砂丘に筆草を植えられたる事あり、当
時此の山に観音寺を建立せられしと伝ふ、此の寺に安置の
像は十一面観世音にして僧行基の彫刻に係る者なりと伝ふ
故に霊験灼然たり、縁日は正、三、十月の各々十八日にし
て参拝者多し、殊に三月十八日は建立記念日にして参拝者
多く十余里を隔てたる遠地より態々杖を引く者実に数千人
を数ふ、
尚ほ往古本村に二寺あり一は郷分に円蔵寺一は浦分に西宝
寺あり、西宝寺は渡辺丹後守入道順西の開基に係り一条家
より一向宗御免の御書付及び御判物数通を賜りありしも宝
永四年海嘯の為めに其の過半は流失せしと言ふ、両寺とも
明治の初に廃寺となれり。
西宝寺廃寺跡
又外ニ宝物等数品アリシ事ハ宝暦九年御使僧広泉寺殿へ口
上書ノ一札次ニ延享四卯年ノ差出其外過去帳ノ前文亦系図
ノ内ニ詳也大変ニ流失云々可惜々々(後略 此大変宝永四
年ノ海嘯ナルヘシ)