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項目 内容
ID J0900555
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔土佐国史談〕▽
本文
[未校訂]宝永の大震は、之*より一層太だしく、火災なきも、海嘯、
一時に襲ひ来り、流失、潰崩、相交り、親は子を助け、壮
は老を救ふの隙なく、北は久万、秦泉寺。西南は、小高坂
より、朝倉、潮江、東は一宮、介良等、一面の海となれ
り。高知市街は、水深きこと、二丈に及びしと云ふ。時時
大小の震動、翌六年に達し、全国の流失、潰壊の家屋、一
万二千七百有余、死人、千五百余人あり。宝永は安政よ
り、百四十六年前、東山天皇の御世なり。
注*安政の地震の事
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 479
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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