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項目 内容
ID J0900455
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔天理市史 史料編一〕○奈良県
本文
[未校訂](荒蒔宮座中間村年代記)
 同年十月四日八ツ時ニ大地震、大和ニ而も方々家も動崩
し、当村も四五軒動崩し、其外家どもどれとも少ツゝハゆ
がみ申候、近国海辺などハつなみニ而家も蔵も何角一面に
海へ引込申由ニ候、大坂など町中之川へ海より塩差込諸人
驚東を差而[逃|ニゲ]申由、舟など橋に関舟打破れ、或ハ橋落大分
之人死有之由、右之地震後極月迄も少ツゝは動ル
 同年十一月ニ富士山三日焼ル、同比江戸同近国砂炭降
ル、右の砂炭ハ富士山之焼ケ申炭かと致風聞候同年木綿ニ
虫入、壱反ニ三四拾斤位、上ハ百斤位もふく、繰綿初直四
貫七八百段々上り四貫迄、又地震ニ而三四百迄売下ケ、極
月留相場四貫四百なり、布留回廊門より西南右之地震ニ動
崩ス、右御用木請山之直段壱本ニ四匁九分ツゝ、同正月に
御殿様より御用銀郷中へ被仰付、段々八月迄ニ五千石組よ
り七百両上ル、同年木綿不作、反別之小検見有
 同年より春日様御雑(造)営有之、同極月八日迄ニ郡山札捨リ
不残銀御替被成候
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 391
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 天理【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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