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項目 内容
ID J0900401
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔広浦往古ヨリ成行覚〕○和歌山県広川町
本文
[未校訂]一宝永四年亥高浪ニ而広浦家居四百軒余流失仕候、人数も
夥敷流失仕候付残リ家数六百軒計リ相成リ、水主人数相
減申候ニ付水主米割符仕候処壱人別本役ニ而三拾文相納
毎年ニ皆上納仕候、右貞享年中遠州灘之難舟と宝永年中
高浪と此両度之難ニ而広浦家数・人数夥敷減少仕候付御
水主米難渋之基ハ此時分ゟ出来仕候、然共享保十六亥年
迄ハ毎年御高之通皆上納仕候
一宝永四亥十月四日高浪ニ而寛文年中御普請ニ而出来仕候
広浦波戸場も打崩レ、湊形チモ無之様ニ相成申候、是又
御水主米難渋之基ニ而御座候、右波戸場有之節ハ諸国廻
船入津多く、諸商内繁昌仕候故問屋船宿其外舟手かゝり
合之稼仕候者たちへ里方支配之者ニ而も又ハ他村ヨリ入
込候者ニ而も其相応御水主役様相勤セ申候得ば高浪後は
諸国廻舟入津無之候故自然と浜方所稼之者も絶申候
(後略)
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 343
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 広川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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