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項目 内容
ID J0900348
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔紀伊南牟婁郡誌 下〕▽
本文
[未校訂](紀州熊野大泊観音堂略縁起)
一奥熊野大泊村比音山清水寺は人皇五十一代平城天皇の御
宇坂上田村将軍御建立本尊は一寸八分の千手観音永代(ママ)泌
仏にて御座候事。但前仏御正体御長ケ一尺二寸の千手座
像木仏。
 是れは応永の比右観音堂炎焼仕り其以後の再像にて御
座候処去る亥の大地震に御手其外揺り落し損傷仕り候得
共私無力に付再興も得仕不申候。
 清の滝 観音堂より三町余にして翠巒重層雲際に聳ゆる
所に清の滝懸下す。高さ四十丈幅六七間大泊川に注ぐ。二
町ばかりを隔てゝ眺望するを絶勝とす。滝壼は彼の大地震
の際岩石転落して埋め今は之を見る能はず。
(都司注)清の滝の記事は木仏の記事の半ページ後に記
されているのでここに言う「彼の大地震」を「亥の年」
すなわち宝永四年の大地震と解してここに掲げること
にした。しかしこの「彼の大地震」という表記が「読
者にとっても最も周知の大地震」という風に理解する
なら清の滝の記事に言う「大地震」とは安政東海地震
をさすことになる。いずれが正しいか不明。
民俗誌 新鹿村
宝永四年寅(ママ)ノ十月四日四ツ時大地震続イテ海嘯アリ。河
水、井等ノ水ハ勿論甕ノ水マデ全ク涸レ土地ハ五尺通リ揺
レ上リ、間モナク大海嘯浪先ハ植地ノ下ノ溝限リ(今ノ天
理教屋敷)及堰ノ元迄届キタル由。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 300
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 木本【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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