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項目 内容
ID J0900342
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔経塚三界万霊塔〕○三重県尾鷲市北浦町馬越墓地▽
本文
[未校訂]宝永丁亥冬十月初四日南海路地
大震有山邑山崩圧邑者有水郷波
起漂流村落者殊尾鷲邑者開水道
於左右前面海広背後山高故怒濤
自三面兢起而廻避無方頃尅之間
而男女老幼溺死者千有余人居民
靡有子遺屍積如山矣嗚呼痛哉無
数生霊万作泉丁之人于♠良源嵓
上人憐無依之鬼興無縁之慈立塔
普度由是乞銘於余同為銘曰
大地震動山崩海揚怒濤圧邑廻避
無方男女老幼流漂大洋遽然不逐
見者断腸嵓老立塔普受群区願依
此徳同登覚場
正徳癸酉孟冬四 良源絶嵓立石
永泉師心謹誌
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 296
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 尾鷲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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