Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0900337
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔尾鷲市史年表〕○三重県
本文
[未校訂]南海・東海
大地震富士
山噴火し灰
降る
一〇月四日午刻大地震、津浪
来襲、林浦・野地村まで波寄
す。
尾鷲浦で流死人五三〇人(但
し馬越の碑に溺死千有余人と
あり)。
須賀利・天満・矢浜は半分
流失
梶賀・曾根・古江・名柄・
水地・大曾根・行野は少々
流失
九木は浜端のみ流失、賀田
は浜通り残らず流失
長島浦の流死五百
余人
引本・矢口・島勝
の各浦に波浸入
島藤安楽寺に津波
供養の五輪塔たつ
(碑)
早田・盛松は別条なし。浦
方文書流失多し。
一〇月泉州岡田浦七反帆の船
頭喜八と水主儀八尾鷲で死亡
(玉田)
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 292
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 尾鷲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒