[未校訂]○宝永四年丁亥十月四日午ノ下刻大地震外宮四別宮岩戸御
別条なし庁舎少しかたふき壁板はつれ柱根ゆるく御器御
倉の土器損失なく棚の上にある土器も無難也奇異といふ
ベし山田船江川崎の人家こと〳〵く破損しあるひは土蔵
損しあるひは壁おちあるひは転倒す上代は論せす寛文二
年五月朔日地震今年にいたって四十六年にあたるよりまた一段強し圧死の者
もあり其後微少の地震数度貴賤老若大道に出て災を避く
夜に及ても同様なり此日快晴也 今度の地震諸国とも同
日刻なり前代未聞の事なり
五日 晴天 昼夜すこしつゝ地震
六日 晴天 昼夜すこしつゝ地震
七日 晴天
南嶋古和浦役所詰の人々参宮にて物語古和浦二百余軒有
之所高潮大浪にて人家流失残る所ハ役所と寺一宇在家二
軒のミ大神宮の御加護ありかたくとりあへす参宮のよし
也、古坐浦同前惣して嶋々同前のよし也
東海道御油の宿参宮人物語彼辺も当地同様の地震のよし
大坂参宮人物語大坂も当地同前大和は又甚しきよし
大湊も高潮にて築地の人家海へとられ候よし
鳥羽おひたゝしき損しのよし
江州彦根山田同様のよし
美濃大垣の近所竹の鼻の人物語大地震にて家つふれ大道
さけて泥出つ
甲州は家四千軒つふれ二千軒半つふれのよし幸福出雲甲
州より帰宅の談話也
紀州和歌山本町代参の噺地さけ溝のことくなり泥わき出
海辺は津波まゐり仍是代参にまゐり侯よし
山田今日もすこしつゝ地震夜もすこしツゝ二度
八日 晴天 昼夜すこしつゝ地震
尼崎天主土おち角屋倉崩おち候よし四日の地震也
大坂北潰堀江の新地并道頓堀高汐ミち来材木大船入こミ
人多く死す
九日 晴天 昼夜すこしつゝ地震
十四日 晴天 夜戌刻前子剋両度地震
十六日 晴天 暮比すこし地震
十一月朔日 昨日迄少々地震今日昼夜全地震なし
右子等館日次黒瀬益弘之筆記也