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項目 内容
ID J0900301
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔永保記事略〕○伊賀上野
本文
[未校訂]十月四日
一大地震之事
△大ゆりは未前刻小半時斗也其以後も小ゆりは昼夜数十
度也此以後数日度々ゆり候事
△御城裏門前東之石垣七八間崩ル其外玄関広間并腰掛勝
手之建物等及大破依之采女家内とも早速的場之藪へ出
候事
△御屋敷は御台所等少々之破損也
△其外東大手見付桝形之石垣御堀へ崩込候、塩硝蔵玉蔵
なとも破損有之
△采女居宅殊之外大破ニ付五日夕より廿六日迄下屋敷へ
引移居候而、式日寄合月次御礼等ハ御屋敷へ出候也
△免寄合も同断也
△諸国とも大地震也、其内京都江戸表ハ格別之義無之
○十一月
同十八日
一赤坂町山伏明学院悴権七儀先達而之大地震之節富士之麓
村山浄蓮寺ニ而潰家ニ敷れ相果候義并岡山大光寺飼犬千
戸村之小牛を喰伏殺し候義言上ニ及候之事
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 279
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 上野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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