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項目 内容
ID J0900289
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔東浅井郡志三〕○滋賀県
本文
[未校訂]○宝永四年十月四日午刻。大地震動す。京師は地裂け水湧
くに至らざりしも、人皆家に居ることを得ず。大和を初
とし、東海・南海等の諸国損害殊に甚し。十九日、土佐
国洪浪山岳の如く、陸地に上り、田圃を害ふ。人死する
万余なりしといふ。続史愚抄所引基長卿記・緒光卿記十一月十三日、富士山
爆発し、宝永山を生ず。和漢三才図会・年代略記其鳴動地震と共に、
江北の地に聞ゆ。宮川日記に之を叙して曰く。
二十三日宝永四年十一月曇 巳刻過より、南東の方、雷鳴の如く
にて、震動不絶、立具びり〳〵と響く。
二十四日 晴 震動昨日よりは軽く、昼の内は少時止。
申刻よりは朝より強く、戌半刻・子半刻地震。
日記の記者宮川庄太夫親良は、小堀家の老臣にして、当時小
室に在り。右の記事は、小室に於ての事なりしことを記憶
せざるべからず。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 273
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 速水【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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