[未校訂]一同(○宝永)亥十月四日、大地震。此節伯父庄右衛門満
嶋へ用事有て当家に一宿し、四日之昼過に福島へ出、金
田氏へ立寄、暫く休息して未ノ剋ニ移ル時分ニ、松嶋通
リ満嶋へ被行筈にて、福嶋を出ける処に、道に踏迷ひ、
福嶋之上之松休所ニ出たれば、地震ゆり出し不行ニ付、
福嶋へ漸くゆり間を見合ハセて帰りければ、金田氏被
申は、松嶋道はあのく所々欠崩れて候故、最早貴公再ひ
被帰間敷哀れいか成不思義にも無恙て、今一度之対面
も有かしと神を祈り又は念仏を唱へたり。松嶋道を守り
居候処にいかゝ被成て、危きを逃れ、今又再び合見る
事偏に其元は神仏之加護ならではと申されしとかや、誠
に道にも迷はす、松島へ行ならば、此地震にて伯父庄右
衛門命終成べし。殊に、此庄右衛門前方も度々通り道は
案内也。又左様にぬかりたるに非す。然ば川伝ひの道を
離れ凡三四町も登ル内に何心もなく登るといふも、誠に
仏神の加守ならずしてハ角は有間敷事也
(頭注)危きを逃れ 宮下本云 難儀を免れ。度々 宮
下本云 三度
(都司注)「史料」二巻二〇二頁の後略部分と頭注を右
に示す。