[未校訂] この地方は他地方に比して昔からあまり大きい特殊な災
害に遭うということは少なかったが、それでも洪水とか或
は長期にわたる冷雨のための凶作等は屢々あったことが村
に伝わる史料や口碑によって知ることができる。そのうち
特に著しいことの一つに宝永四年の大地震があった。これ
は当時の飯田町の町年寄山村氏の役用日記に記録されてあ
るもので、町年寄の山村氏は山本の与次衛門からの話によ
ってこれを日記に書き記したもので、その部分を抜書きし
てみると、
一宝永四亥年十月四日地震覚
一山本家数弐百軒程之内つぶれ家百四〇軒程と承 竹
佐六郎佐衛門家もつぶれ北方庄三郎家つぶれ
山本村松下日向守様御領 近藤宮内様御領 家数合
弐百廿三軒 内百五十九軒 本つぶれ 五十五軒
半つぶれ 死人 五人
右之通山本与次衛門物語
とある。これによると、その時の山本・竹佐一帯にわた
る地震の災害は非常に大きなものであったことが窺われ、
また郡下はもちろん一般的に大地震であって、その被害の
いかに大きかったかも想像される。