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項目 内容
ID J0900078
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔飯田地方に影響を及ぼしたと思われる地震記録〕
本文
[未校訂]宝永四年十月四日
大地震、大地震にて御城内町在々大破損、飯田町に潰家五
十軒余、半潰百軒余、土蔵二十ケ所、半潰六十八ケ所貧
乏人に御下米、潰家一軒に材木十本、繩十把、半潰家一軒
に材木五本、繩十把、領主より被下
市田村庄屋上原彦右衛門筆記歳中行事によれば、十月四日
晴天午ノ下刻申酉方より大地震おびただしき事、近年稀な
る事どもなり、我家の下道動リ破長さ七間程、その他川東
山々のなぎ一度に崩れ、土煙四方に立ち見ゆる、同時に動
き止み候、飯田町屋土蔵等方々崩れ夜に入り二度、夜明に
一度、昼七つ時より七度、夜明けまでに十度也、飯田町五
十軒程、蔵八十ケ所程動崩し由聞く。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 95
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 飯田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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