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項目 内容
ID J0900026
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔西野伊藤氏記録〕○山形県東田川郡余目町
本文
[未校訂]十月四日 地しん爰元ハ少々成、上方ハ大坂ゟ下するか(駿河)三(三
川河)迄大地しん、国々御城方ニてゆりくつれいたミ申よし、
大地もわれ海津波打大分ニ人いたミ申候由 大坂津波由、
大分ニ人相果候由終ニ無由申ならし候
(中略)
御用金百石ニ五俵宛別而被仰付候 十二月廿七日云渡し御
座候
西ノ村へ五拾俵被仰付候、上方遠州・三州道中地しんニ大
分いたミ申故御ふしん
道中三里公方様ゟ被仰付由 郷中人足代之由被仰付候御座
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 73
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 余目【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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