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項目 内容
ID J0803402
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔上田市史 上〕○長野県
本文
[未校訂] 寛延四年四月廿五日八ツ時強震があり七ツ時又強震、廿
六日昼夜度々の微震があり、其より五月七八日頃迄微震が
つゞいた。此地震の震源地は、越後高田附近今町辺の地盤
陥落した所に在つたやうである。今其当時の日記を記して
参考とする。
高田にてハ町家大方揺り潰し、其上二三ヶ処より火事起
り焼け申候由、御城内も余程家潰れ、御城にても高塀倒
れ石垣崩れ申候由。今町は不残家潰れ地も余程裂け砂
泥おし出し候由。加賀道筋有間川と申す宿は、山押出し
不残其所無御座候由、往来の飛脚物語被成候、殊更
人馬は不残死し、かたちも無御座候由、此節飯山牟礼
之辺も家屋余程潰れ、少々人死も有之候由、高田にては
家五千軒程潰れ、亭主之死するもの八百人、其外子供家
来の死人委しく相知れ不申候由
此地震は松代あたりも強震の被害があり、松代城の石垣
土手塀等の崩壊した所尠なからず、町家三軒の倒潰れもあ
った程であった。(問屋日記)
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 555
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 上田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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