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項目 内容
ID J0802002
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1725/08/14
和暦 享保十年七月七日
綱文 享保十年七月七日(一七二五・八・一四)〔高遠・諏訪〕信濃・伊勢・奈良・江戸・八王子・浜松
書名 〔南信地名考 一四二・一四三〕○諏訪
本文
[未校訂]今回記者の入手した古文書数十通の中で、既載の類の外に
天変地ように関するものも尠くないが、其中に享保十年の
諏訪に於ける左の震災記録は珍らしいものに属する。
享保十乙巳七月七日午中刻強地震御城中御破損所左の如し
一御本丸のかぶ木門西之方、多門台石垣塀共に残らず崩る
一同所多門壁おつ
一同所塀五十間倒る
一同所かぶ木門東の方多門台石垣崩れ、塀破損
一冠木門番所後折廻し塀石垣残らず崩る
一御本丸北之角櫓垣共にくづれかゝり、同所北より南の方
多門廿一間半之内十一間石垣共に崩れ、残りの分石垣共
に崩れかゝる
一同所東の方櫓北之方二尺余まがり石垣崩れかゝる
一同所より南の方多門破損、石垣十間余くづれ、同所塀倒る
一同所南之方多門破損
一同所南之方塀石垣五間くづる
一同所南之方塀十三間余破損
一同所東の方五間倒れ、石垣くづる
一同所西之方多門破損
一天守壁残らず破損石垣所々はらむ
一御本丸之内座敷所々破損
一同所長屋四間倒る
一同所玄関前腰掛十三間崩れかゝる
一玄関脇東之方塀破損
一城御積米残らず破損
一御銭蔵破損
一惣而塀際石垣所々崩る
一二之丸石垣はらみ並に崩る
一同所塀所々大破
一三之丸御門、左右塀二十八間倒る、同所石垣はらみ並に
崩る
一同所番所破損
一同所西之方川通り塀二十四間破損並に石垣崩る
一大手御門壁落ち、北の方一尺余曲る
一同所御門左右塀四十間破損、内二十六間倒る
一同所石垣十八間はらみ、八間くづる
一同所御門外塀石垣共に三間くづる
一同所櫓残らず破損
一同所番所曲り、壁塀共破損
一三之丸座敷並びに長屋塀破損
一同所長屋一ケ所、塀一ケ所たふる
一同所石垣三間崩る
一同所多門十間、北の方へ三尺程曲り、石垣くづる
一同所櫓壁残らず破損
一城内外侍屋敷破損家八十七軒内潰家十一軒、半潰四軒
郷村之内三十六ケ村破損之覚え
一倒家 三百四十七軒
一半倒家 五百二十一軒
一倒寺、一ケ所
一川除土手、石垣共崩れ 五千六十間余
一山崩れ 二十ケ所
一岩崩れ 所々
一往還道 数ケ所割れ所々崩る
一用水 川々所々押埋む
一落橋 三ケ所
一損橋 十三ケ所
一田畑之損じ 五百石余
一怪我人 八人内男一人女七人
一死人 四人内男三人女一人
一怪我馬 十疋
一損じ馬 七疋
右之通りあらましの分也
此の享保十年の大地震は「日本震災年表」について調べる
に、他に記録のない所から見れば、或は諏訪地方が震源地
であったかとも考へられるが、是はなほ十分研究の余地あ
るものである。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 225
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 諏訪【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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