[未校訂](元禄十六年・癸未)
十一月二十二日
二十三日の両日、関東一帯大地震、海嘯に襲われ、加え
るに房州、下総浦安、船橋方面は海嘯のため大被害あり。
武江年表には「十一月二十二日、宵より雷強く、夜八ツ時
(前二時)地鳴ること雷の如し、大地震、戸障子たふれ、
家は小舟の大浪に動くが如く、地二、三寸より所によって
五、六尺程割れ、砂をもみ上げ、あるいは水を吹き出した
る所もあり、石垣崩れ、家蔵潰れ、穴蔵揺りあげ、死人夥
しく、泣きさけぶ声街にかまびすし、云々、八時過波浪あ
り、房総人馬多く死す云々」とあり。
十一月二十三日
丑刻(午前二時)武蔵、相模、安房、上総諸国の地大い
に震い、続いて海嘯暴溢し小田原、鎌倉、安房の長狭、朝
夷の両郡、上総の夷隅郡等その災を被れり、余震年を越え
て止まず(大日本地震資料)。この地震のため、長狭郡平
塚村内所々に五―六尺に及ぶ地割を生じ、小湊海岸は陥没
して往時の誕生寺前庭は海中に入り、現在の鯛の浦が現出
した。一方、千倉の海岸は一―四粁にわたり干潟となり、
しばらくの間潮がささなかった。この地震に伴う津浪は夷
隅郡、長生郡、山武郡の海岸一帯を襲って家屋を押流し、
数千の死者を出した(千葉県誌)。銚子附近には津浪三回
押寄せ、船着場を崩し、家屋流失一戸、納屋数戸潰さる
(銚子市史)。浦安、船橋方面この津浪にて人畜多く死す
(東葛郡誌)。船橋方面この地震以来不漁となる(船橋市
史)震源、房州沖M八・二