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項目 内容
ID J0700154
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔関東〕
書名 〔稿本野田市年表二〕
本文
[未校訂](元禄十六年・癸未)
十一月二十二日
 二十三日の両日、関東一帯大地震、海嘯に襲われ、加え
るに房州、下総浦安、船橋方面は海嘯のため大被害あり。
武江年表には「十一月二十二日、宵より雷強く、夜八ツ時
(前二時)地鳴ること雷の如し、大地震、戸障子たふれ、
家は小舟の大浪に動くが如く、地二、三寸より所によって
五、六尺程割れ、砂をもみ上げ、あるいは水を吹き出した
る所もあり、石垣崩れ、家蔵潰れ、穴蔵揺りあげ、死人夥
しく、泣きさけぶ声街にかまびすし、云々、八時過波浪あ
り、房総人馬多く死す云々」とあり。
十一月二十三日
 丑刻(午前二時)武蔵、相模、安房、上総諸国の地大い
に震い、続いて海嘯暴溢し小田原、鎌倉、安房の長狭、朝
夷の両郡、上総の夷隅郡等その災を被れり、余震年を越え
て止まず(大日本地震資料)。この地震のため、長狭郡平
塚村内所々に五―六尺に及ぶ地割を生じ、小湊海岸は陥没
して往時の誕生寺前庭は海中に入り、現在の鯛の浦が現出
した。一方、千倉の海岸は一―四粁にわたり干潟となり、
しばらくの間潮がささなかった。この地震に伴う津浪は夷
隅郡、長生郡、山武郡の海岸一帯を襲って家屋を押流し、
数千の死者を出した(千葉県誌)。銚子附近には津浪三回
押寄せ、船着場を崩し、家屋流失一戸、納屋数戸潰さる
(銚子市史)。浦安、船橋方面この津浪にて人畜多く死す
(東葛郡誌)。船橋方面この地震以来不漁となる(船橋市
史)震源、房州沖M八・二
出典 新収日本地震史料 第2巻 別巻
ページ 241
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 野田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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